2019年10月11日

10月11日・金曜日。曇り。特大台風、関東地方直撃前夜。昨日のジャパンタイムズには世界が注視する台風とあった。房総方面の住民への憂慮もさることながら、やや内陸部にあるわが家の安全すら覚束ない。一体、地球はどうなってしまったのか。自然からこれだけの警告を受けながら、根本的な対策を先延ばしにしようとする我ら人類は、まだ目が覚めないのであろうか。今後、どれ程の惨劇と犠牲を見れば気付くのであろう。なお、過日の論考「記念事業に寄せて」にコメントを得、わが意を強くした。

 

まず、摩天楼(筆者には、この言葉は子供の頃写真で見たニューヨーク市のそれしか思いつかない景観であったが、それが東京のど真ん中に出現したことに、いまだ信じられない思いである)とも言うべき巨大マンション群を現出させた行政の意図はこうだ。月島のような伝統的な地域では古い木造家が多く、いかにも火災に弱い。こうした災害に対するに、現行プロジェクトは不可欠な対策である、と。この政策には、単に火災対策ばかりか、行政にとっては効率的な都市行政、また事業税やら住民税等の財政的収入の意味も込められていようが、それ以上に大手ディベロッパーの経済的な利得チャンスこそが、この開発を突進させた原動力ではなかったか。

勿論、その背後には、高層マンション群に対する旺盛かつ持続的な需要があるからである。第一に、職場から至近距離にあり、通勤地獄とは無縁である。次いで居住区間の快適さに加えて、建物全体の仕様と外構の整備、要するにアメニティーの完成度があげられる。さらに極めつけは、昼には木更津沖から三浦岬にいたる東京湾を一望し、夜には宝石箱をぶちまけた煌めくばかりの大東京の夜景を、日々堪能できる眺望があるのだ。そこから見下ろす世界は、何か一城の主の感があるらしい。26階のマンション購入者は言っている。「アイツらより偉い、と思えるような魅力的な場を持てると言うのは、イイもんだが、これは単なる見てくれに過ぎない」。これらは「一分間の魅力に過ぎない。…引っ越してみれば、そんな高揚感は持続しないモノだろう」。

このような需要と供給に惹かれて、月島界隈から豊洲、有明にかけて高層マンションが林立し、まさに東京の摩天楼ともいえるほどの勢いは今なお止まる気配もない。建築技術の発展を見せつけられる思いだが、このままその流れに任せてよいものだろうか。そこに潜む問題は無いのだろうか。マーティン氏はそう指摘するのである(本日はこれまで)。

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