2019年8月7日

8月7日・水曜日。晴れ。熱暑、炎暑とどう言っても、この暑さには及ばない。だが、74年前の広島、長崎の惨劇を思うと、言葉を失う。改めて犠牲者の方々のご冥福を祈る。なお、前回文章の末尾に若干加筆した。

 

前回の話が、ただ奇想天外なアイデア賞やビックリ賞を競う類のものであれば、笑ってすます事も出来よう。だが、それが他ならぬ我らの地球の救済策として真剣に考究され、早急に取り組むべき対策の一つであるとなると、話は別だ。ここまで事態は切迫し、もはや放置できない。温暖化は、今やわれわれの喉元に突きつけられた短剣である。

原因はCO2の排出であり、これは、クラインで見たように、闇雲な経済活動の結果であるという。であれば、その抑制が第一であり、次いでCO2関連技術の開発が考えられるが、しかし、経済の成長主義を玉条とする政治家、経済学者らはこれに大反対である。揚げ句は、成長なき経済は江戸時代への逆行であり、われわれはそんな生活に耐えられるのか、と宣う。

これは、全く極端な言である。現在の経済水準を多少下げることが、何故江戸時代に戻らざるを得ないと言うのか。それ以上に、海面上昇により東京はじめ海岸線上の大都市が水没の危機に見舞われれば、江戸時代も何もあったものではない。それ以下の生活をも甘受せざるを得ないではないか。そもそもここに至るはるか以前に、気候変動の悪化は徐々に、あるいは急激に制御不能となり、地球環境の激変やら、水資源の問題ほか様々な資源の枯渇に直面して、これ以上の経済発展は難しくなるのではないか。さらに、「13世紀」辺りから勃興し始めた資本主義的経済は、70億の人口数と共に、今やピークに達しつつあるようなのだ(水野和夫『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』集英社新書2017)。

われわれが現在直面しているこうした諸問題に対して、成長主義者はどう考えているのか、率直に訊きたいものである。こう考えるのは、恐らく筆者だけではあるまい(以下次回)。


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