2019年6月14,21日

6月14日・金曜日。曇り。今週の多忙にはマイッタ。いつ頃だったか定かでないが、「未病」なる言葉を知った。病気ではないが、さりとて健康でもない。わが体調をこれ程的確に示す言葉もない。そして、昨今、天秤のバランスが傾き始めたには、来月6日、76歳を迎える身としては、やむを得ない仕儀である。前回の文章に手を入れた。

6月21日・金曜日。晴れ。

 

最新の技術を駆使した、陸海を問わぬ地中深部への「最後の一滴」を求めて止まない人類の介入は、大気圏や地球表面の全てに甚大な被害をもたらしている。今さら挙げるまでもないが、温暖化による気候激変、南洋諸島の消滅すら危惧される海面上昇、繰り返される制御不能な巨大豪雨と過去に例のない干ばつ、山林崩壊や海洋汚染等など、人類は現在、自らのタガの外れた無制限の経済活動の結果として、自然界から地球規模での容赦ない復讐を受けている。それはまさに、最後の1ドルまでも巻き上げなければ収まらない人間の「狂気」の結果である。クラインはそうした人間―特に石油・天然ガスと言った巨大企業、資本―の強欲に対して、身を賭して果敢に挑戦したのであった。

彼女の戦闘の根幹にあって、そこで守られるべきものは「生命」であり、これを育む環境であり、これに根ざす生きてあるものたちの生存であろう。地球温暖化はこの生命の営みの場、すなわち環境を無に帰する危険がある。どころか危険は眼前に迫っている。そして、その元凶である先端技術に身を固めた巨大企業・資本が、彼女の戦うべき敵手となった。

資源開発企業はガスや石油を「最後の一滴」まで絞りつくした後は、変り果てた荒涼とした大地をそのままに、別の原産地へと去っていく。その土地に対する愛着は微塵もない。破壊のままに彷徨う放浪者、これが彼らのありのままの姿なのであろう。しかし、他方でそこに生きるものたち、人間や動植物にとって、その土地は命を支える掛け替えのない場であり、不可欠の条件である。景観と歴史が一体となった、子孫たちに受け継がれる舞台でもある。たしかにここにはカネやそれによって手にし得る富はない。しかし、ここは「現在の経済では計るすべのない豊かさ」に満ち、だから「私たちはそんなに貧乏というわけじゃない。お金はないかもしれないけれど、きれいな水もあるし、健康だし」と、生活の安心と誇れるものがある。これらが失われる事は恐怖であり、抑えがたい怒りに駆られる。それゆえ、これを死守しなければとの闘争が激烈になるのは当然であった(クライン・下・461頁)。その戦いは「水を守る運動」として展開される(以下次回)。


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