2019年6月5,7日

6月5日・水曜日。晴れ時々曇り。やや蒸し暑いが、風爽やか。最近、思うところあり。昨日の疲労は必ず翌日に及ぶが、前日の元気は今日を保証しない。本日の出来不出来は迎えてみなければ、分からない。よって、計画や予定は立ちにくい。これもなってはじめて知る老いの発見である。

6月7日・金曜日。雨。

 

闇雲に働き、病に倒れ、精神を病めば治療を受けるが、支払い額は経済行為としてGDPに反映され、同じことは大気汚染等の公害の発生と対策に関わる経済活動についても言える。要するにGDPで示される経済成長には、そうした生活の充実、幸福感とは無縁な、それどころかそれらを破壊する経済活動の結果も組み込まれており、であればその数値の上昇は即「幸せなマニフェスト」にはならないと、著者は言いたいのであろう。

さらに、こうした果てしの無い欲求に駆られた経済活動の延長線上にある、現在のグローバル化した自由主義的経済活動、その成長至上主義がもたらす地球規模の環境破壊やその惨状は危機的ですらあり、このまま放置すれば生命の生存すら危うくしかねないところまで来ている。その様相を気候変動の側面から告発したのは、ナオミ・クラインであった(幾島・荒井訳『これがすべてを変える 資本主義vs.気候変動』上・下岩波書店2017年)。ここではその一点だけを引いておこう。それは、フラッキングと称する水圧破砕の技術を用いて、天然ガス・石炭採掘・シェールガス(頁岩・けつがん・という泥岩に含まれる天然ガスの一種)採掘によって生じた環境破壊であり、みるも無残な結果を惹き起こした。

まず指摘されるべきは、天然ガスをフラッキングによって採掘した場合のメタン排出量は在来型に比して30%ほど多くなるが、それは生産、処理、貯蔵、輸送の全てで漏洩するからである。しかもメタンの熱吸収率は、通説に反してCO2の34倍に及び、地球の温暖化は長期的に見て、ネットワーク化された「大気オーブン」の発生によって一気に高かまると言う(上・196頁以下)。

その採掘と精製方法が問題である。在来型に比べて高額で複雑な生産工程を取るが、資本の回収を考えれば、稼働年数は数十年規模となる。しかもここには世界的なビッグビジネス間の生死を賭けた競争が加わる。限りある資源を少しでも多く採取しなければならないからだ。

採掘方法は頁岩層に割れ目を造って、埋蔵されたガスを採取するが、地中深部に長期間、高密度に圧縮された状態にあった頁岩層は硬度も高く、その破砕は容易では無かった。21世紀、米国でそのために開発された技術は破壊力もあり、しかも水平坑井(こうせい)技術へと進化することで漸く実用化されることになる。やがて北米を越えて世界に拡大するこの結果は目を覆う惨状である。

「岩を爆破して原油や天然ガスを採掘したり、タール状の泥に高温の蒸気を圧入したりといった極端な抽出法を組み合わせて使うことが増えている。たとえば、オイルサンドにに含まれるビチューメン(粘度の高い原油の事―引用者)を溶かす水を加熱するために、フラッキングで採掘したした天然ガスをパイプで送り込むと言った具合だが、これはエネルギーの「死のスパイラル」のほんの一例にすぎない。言い換えれば、業界が革新と呼ぶのは、自殺へと至る中毒の最後のあがきのようなものだ。大陸の岩盤を爆破し、有毒物質とともにポンプで水をくみ上げ、山頂を削り、針葉樹林を丸裸にし、深海を危険にさらし、氷が解けつつある北極海を先を争って開発する―すべては最後の一滴、最後の岩まで手に入れるために。そう、これを可能にしているのは最先端の技術ではある。だがそれは革新ではなく、狂気なのだ」(上・198頁)。

その結果はどうか。豊かな原野は破砕による地割れのためガスや油分にまみれ、多様な生命の死滅を招く。近隣民家の水道水が突然燃え出し、不自然な病状や高率の癌発症を呼ぶ。これらを告発する医者や研究者らは、当局、企業に取り込まれ、これを拒む者たちは様々な誹謗と妨害を蒙って、社会的な抹殺の対象となる。この経過は、わが国の原発に対する市民運動家、研究者たちのそれを彷彿させるものがある(上川龍之進『電力と政治 日本の原子力政策全史』上・下勁草書房・2018)(以下次回)。

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