2019年2月6日

2月6日・水曜日。雨。

 

前記の記述は地方から都市への人口移動を示す図像としては簡略に過ぎるし、勿論これをさらに詳細に描くことは出来るが、恐らくその基本線はそう変わるものではあるまい。問題は以上のような線上で若者や地場産業で吸収しえない過剰な労働力が都市へと移動したにせよ、依然として地域に留まる住民は多く、あるいは都会生活に合わずに帰還する人々もいるが、これら住民の生活を受け止め、維持する地域社会をどう築くかであろう。かかる人々は先ずは農林水産業の従事者であり、彼らの日常生活を支える各種の製造業や商業、サービス業、役所、学校、医療関係者等々である。それらの産業の中には、その地域でしか生産できない独自の製品があろうし、他では見られない自然や文化もあり、それが他地域から観光客やら移住者を引き付ける魅力を発することもあるだろう。

このように、都市と農村の有機的な繋がりを持った地域の都市構造はある程度の人口を有し、時間をかけて造られた都市ではどこでも見られたものであったろうが、この2,30年で一気に崩壊したのは、いかなる理由であろうか。

その一つは、地域全体を圧する巨大産業の進出とその支配にさらされた地域では、従来の仕組みがなし崩しにされてしまう。しかし他方でわが国産業のそれ自体の構造転換によって、その産業自体が衰滅し、破綻した地域、例えば炭鉱業に徹底的に依存した夕張市や他の企業城下町と言われるような地域の事例が浮かぼう。ここでは特に、グローバル化の波に飲み込まれ、企業の撤退や生産工場の外国への移転より、それまでその企業の要求に従って造られた都市構造が一挙に根こそぎ崩れ去った地域都市群が想定されている。

上で見る、企業の進出と撤退がかつての地域都市の生活基盤を破壊し、疲弊に追い込むような事例は、それだけでは無い。大型店の進出による商店街の破壊、市中心部の空洞化及びそれに繋がる買い物難民の発生、地場産業の衰退である。同時に、市周辺部に建設される巨大な商業施設は田畑をコンクリート化した挙句、商機がされば一気に撤退し、放置される。これは広大な環境破壊であり、地域文化の消滅である。その結果残されるのは、地域社会の荒廃である(以下次回)。


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