2019年1月25日

1月25日・金曜日。薄曇り。風強く、寒し。

 

前回を受けて、何方かの参考のために引き続き「携帯紛失顛末記」を記しておきたい。先ず、紛失した携帯電話機は、本日無事、我が手元に引き取った。飯田橋の警視庁遺失物センターに赴き、ドコモから送られた書状、公的な身分証明書を提示し、書類に認印を押すと、待つ事20分ほどで返却された。郵送用紙には、同センターに保管されたのが、21日・月曜日とあり、また、「地鉄」の文字が見えることから、紛失場所は地下鉄車内である。私は確かに13日・日曜日の23時頃、半蔵門線の車内におり、その30分後には春日部の我が陋屋にご帰還であった。思うに、その時座席に落ちた携帯機は一旦、地下鉄の遺失物センターに送られ、その後警視庁遺失物センターに移されたのではないか。それが一週間の期間であった。私がドコモに通信止めにしたのは、紛失に気付いた14日・月曜日の深夜であり、丸々一日の無防備な時間があったことになる。

引き取った携帯にはかなりの名簿が残っている。そのデータは移さなければならない。飯田橋のドコモショップに行って、その旨を告げるとご自分でやっていただきたいと、機械の前に連れて行かれ、オッポリ出された。途方に暮れてまごまごしていても知らん顔。完全予約制でカネにもならんと思われたのだろうか。外堀道り沿いのドコモショップであった。

憤然とした面持ちで、早稲田の事務所で事の仔細をいえば、穴八幡神社向かいのドコモショップを教えられる。ここは親切で間違いはない、とのお墨付き。先と同様の説明をすれば、我が為すべき最小の手続き(ドコモに届け出た4桁の数字の入力と電話番号、住所の記載)のほかは、通信止めの解除から新規の携帯機へのデータ入力、バックアップ用に買ったチップに名簿の入力にいたるまで誠に手際のいいサービスであった。第一、紛失機のデータ解除なぞ私ができる事ではない。NTTドコモとのやり取りがあっての事であるとはその時初めて知った。とすれば、先の場合はナンだったのだろう。コッチの説明が悪かったのか、いい加減に聞いていたのであろうか。しかし、私の説明は同じだったのだが。

それにしても、NTTドコモ直営のドコモショップは一店舗もないと、先日、はじめて知った。この限り、NTTドコモは各店舗の指導、経営には直接の責任を負わないということになろう。ショップのオーナーはNTTドコモにノレン代を納め、あとは自助努力によって頑張ることになる。当てれば儲かるし、外せば潰れる。こう見ればショップの盛衰ぶりはよく分かる。au、ソフトバンクも仕組みは同じであろう。まずは親会社同士のシェア争いがあり、そのもとに系列内のショップ間の競争が続く。そのいずれも容赦のない戦いであるに違いない。こうして、国民はどれかの端末機をいやでも買わされ、ヒョンナことで紛失すれば今回の私のように、不安のあまり寝もやらずジタバタさせられるのである。しかし、考えてみれば、普通の人々が瞬時にやり取りしなければならないような切羽詰まった情報がどれだけあろうか。確かに便利であるが、その便利のために命を削るほどのものがあるのか。電車内やホーム、あるいは人混みのなかで見ている情報はそれほどに大事なのであろうか。そんな事を思うと、我々は何か得体の知れないモノにとりつかれ、操られているのではないのか?一度、ジックリと考えた方がイイのではと、つくづく思わされたことである。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です