2019年1月9日

2019年1月9日・水曜日。曇り、風強し。本日、仕事始め。

 

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。我が正月はただ賀状の返信に明け暮れ、松が取れる頃に終了となるのは、例年の通りですが、今年、この年中行事がともかくこなせた事に安堵する思いを、初めて味わいました。今年を以って終了、と言う賀状をしばし頂戴したからです。それは我が身も同じで、来年は突如そんな心境になるやも知れぬと思えば、今出来ることを、ともかく大事にしよう、これを本年のささやかな決意とします。

さて、金沢の町づくりとその為の努力は、観光都市を建設し、そこから潤沢な財源をひねり出そうと意図した分けではまるで無い。順序は全く逆である。いくつもの市条例を重ね、市行政と市民や事業者らとの絶え間ない対話を通じ、何よりも住民にとって暮らしやすい町づくりを第一とし、こうして他ではない金沢「らしさ」の在る町が出来上がった。その結果、そんな町を見てみたい、行ってみたいと思う人々が訪れると言うことなのであろう。誤解の無いように、この点を特に補足しておきたい。

以上、筆者が言いたかったことは、町づくりとは住民の理解と合意、それに基づく協力、支援が第一の要点であり、これを欠けば行政のいかに立派な指導や計画も画餅に帰する。この事は、先の村落の廃村についても繰り返し触れたことである。この点を改めて確認し、以下では今少し具体的に町づくりの骨子を辿ることにしよう。その手がかりを矢作 弘『縮小都市の挑戦』(岩波新書、2014)に求めたい(以下次回)。


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