2018年11月15,21日

11月15日・木曜日。晴れ。過日、東京有明医療大学 付属鍼灸センターに2時間余を掛けて出向き、この歳にして初めて鍼灸治療を経験した。NHKの特別番組に触発され、ことに西洋医学との融合もはかるとの治療方針に惹かれたからである。初体験の印象としては、効いた。週一度通院することにしたが、様子を見て、いずれ経過を報告したい。例によって前回の文章に手を入れる。

11月21日・水曜日。晴れ。鶴巻公園の銀杏今なお青々とし、他の落葉樹は紅葉せぬまま落ち始める。その葉無惨な茶色にくすみ、この冬の暖冬を告げる。気候の変調明らかなり。今週月曜日、二度目の鍼灸治療を受ける。今回は、やや痛苦を覚えたが、体調は改善されているように感ずる。

 

先に、地域再生を目指した「町づくり」について、考慮すべき項目を6点にまとめて提示した。勿論、これは筆者の私論に過ぎず、これで尽きるなどと言える代物ではない。読者には、これを手掛かりにご自分の「町づくり」論の枠組みを構想して頂ければ、と思う。

以下では、最後に付した5、6の項目に対し若干の説明を加え、必要な限りで他の項目との関連を考えつつ、ここでの「町づくり」論についてヨリ具体的なイメージが持てるよう努めたい。

新たに加えた点は、地域の歴史・風土とその文化性であった。この2項目は互いに溶け合い、結局は一つの項目に纏められるものであるかも知れないが、ここでは分けて考えてみたい。

まず前者から始めてみよう。ここで私が言う歴史・風土とは、今日の地域を現在のように造り上げた重要な要素であり、ある意味これは地域を生み育てた入れ物だと考えたい。とすれば、なぜこの地域がこのようにあり、他のようには成らなかったかが分かり、それ故この地域がこのような特徴を持つということを、人々が理解できることになる。

地域はそこに住まう人々によって維持され、彼らの創意、工夫や努力に拠ることは言うまでもないが、同時にそうした人々の活動は、初めから彼らの置かれた歴史的・自然的な環境に大きく制約されてもいる。和辻哲郎は、だから『風土―人間学的考察』で人間理解の一つの方法として風土に着目したのであろう。そして、こういう考え方は、私見では、ある人間を理解するためには、彼の育った環境と幼児からの精神史を知らなければならないという、フロイドの見方を想起させられるのである。

してみると、地域の今後の展開や改革は、そうした歴史的・風土的な環境を無視し、あるいは断絶させる、何か暴力的な仕方で断行することには、無理があろうし、その維持は長期的には不可能ではないのか。たとえばここで、砂漠のど真ん中に忽然と出現させたラスベガスや中近東の最近建設されているような、全く人為的な都市を考えれば、ドウか。そのような都市は、その存続のために飲料水や燃料その他生活上のインフラ施設の維持のために膨大なエネルギーを要するばかりか、永遠にそのような努力を続けなければなるまい。しかし、そのような事が今後も可能なのであろうか。私にはこれらは、まさに砂上の楼閣に見えるが、それはそう見える、我が眼球の障害故なのであろうか(以下次回)。


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