2018年9月28日

9月28日・金曜日。晴れ。前回の文章、後半にかなり手を入れた。

 

本日から章を改める。とすれば、予告の通り2章が続くはずであるが、意を翻し本稿の3章か4章にあたる部分を先に書きたい。すなわち、衰退する地方社会の蘇生、活性化への道、そこから浮き上がる地域社会の姿である。言うまでもなく、これこそ本論の狙いであり、拙論の眼目であるが、先にこれを書くことで、私自身のイメージを自分のために鮮明にしたいからである。書く作業を通じて、人ははじめて己の思念や思考を具体的に手にし得る、とは我がこれまでの研究生活から何度となく教えられた教訓でもあった、と一言しておく。

であれば、以下はいまだ纏まりのない、様々なイメージの断片であったり、互いに齟齬する記述に終わる部分も多かろうと思うが、これは一つの構想が生るための生みの苦しみ(?)として、読者もそれを楽しみつつ共々お考えいただきたい。

 

この秋分の日、朝日新聞1面を飾ったのは「2030SDGsで変える」と題し、「まち再生へ 森林フル活用 北海道・下川町」、「熱供給・産業…余すことなく」を見出しに掲げる記事であった。さらにこれは2面の全面に引き継がれ、下川町と共に熊本県小国町のやはり同様の事例が励ますような筆致で記述された。いずれの町も山村に位置し、人口減少による「消滅可能性」の危機に瀕するが、その難題に抗して森林を最大限に生かし、果敢に再生を目指す町として紹介されている。ここには、根底において筆者と同根の価値観と共感しうる多くの主張が認められることから、以下その内容を摘記しつつ、本章を開いていくことにしたい。

2018年9月18日

9月18日・火曜日。曇り。夕刻には昨日に続きゲリラ雷雨の予想あり。前回の文章に手を入れ、本日は鉄道支線廃線に関する賛否両論を付す。よって本注、やたらに長くなる。

 

上記の鉄道存続論に対しては、当然、賛否の両論があり得る。朝日新聞・オピニオン欄(平成30/9/11/火)には、こうある。まず賛成論としては、「路面が凍結する真冬は特に、鉄道をはじめとする公共交通機関が頼り」であると共に、日本の宝とも言うべき北海道の観光資源を生かすためにも「点在する地域の魅力」を繋ぐ鉄道の保全を願うとする。

他方、JR再編による鉄道存続論は、すでに歴史的使命をおえた北海道の鉄道に対する「ノスタルジックな願望」に過ぎず、よって本論は「JR他社の利益移転を求め、赤字鉄道を存続させる」ばかりで、「将来世代に対して無責任」な「愚策」とするものである。例えば首都圏を見てみよ。ホームの転落防止策、満員電車の解消、老朽施設の更新等と言った課題は山積しているではないか。北海道ばかりか、どこであれ、赤字路線の存続はそれらに必要な資金を吸い上げてしまうであろう。であれば、北海道の鉄道対策は、「増えるかどうか不確かな観光客や他人の財布を当てにした延命措置」にあるのではなく、「遠距離は空路と高速バス、近距離は高齢者の通院・買い物支援の地域バス等の充実」であるとする。

こう見ると、両論の説得力の優劣は歴然としているように見える。一方はノスタルジックな夢物語りに立つのに対し、反対論は現実の問題にシカと向き合っているかのようであるからだ。夕張市の廃線政策もこうした線上で決せられたのかも知れない。しかしここにあるのは、市内住民への視線だけであり、原氏の指摘の通り、その限りでの合理性でしかない。インバウンドの発想は希薄、と言うより皆無に近い。何しろ、来るかどうか覚束ない観光客の財布を当てにするような対策、とまで言われるのだから。だがかような主張は観光業のみならず、ひいては商業活動そのものの否定に繋がりかねないのではないか。商業とは、所詮は他人の財布を当てにする営みであろうから。

すでに見てきたように、地域の活性化は、地域を閉ざした形でやりとげることは、まず難しい。殊に、住民の減少と高齢化と言う二重の圧力にさらされ、縮小化への危機が迫る地域の場合は特にそうである。その流れに対抗し、これを転換させる政策、妙案など、そうザラに思いつくものではない。だから安易に、中央から産業を呼び込み地域の活性化を図るのだ、との主張だけは願い下げである。これまでもそれに類した対策を必死にやって来た挙句、ただ今現在の地方があるのではないか、と言いたいからである。もはや地方が求める道はそれではなかろう。

2018年9月5,10日

9月5日・水曜日。晴れ。台風後の蒸し暑さ。マイッタ。

9月10日・月曜日。曇り時に雨。蒸し暑さは変わらず。

(5)、縮む社会の問題を考え始めると、普段は考えもしなかった様々な問題に気付かされる。こうして関心や思索が多方面に広がると共に、それぞれが緊密に関連していることを教えられる。それがこの種の社会学的研究(?)の醍醐味だと思う。

さて、私はようやく1章を終えた、さあ2章だ、だがその前にチョイト1、2の補注を付しておこう、こう思って始めた事だが、未だここから足が抜けない。ただここでの回り道は後の話の材料や、注として生かされるはずだから、あながち無駄ではない。だが流石にこの(5)の補注を最後とし、次回からは2章に入ろうと思う。

地域社会の盛衰にとって、域内外の交通手段、体系は、実に重要な問題である。すでに、集落内の住民が離散し、外部からの人口流入は見込めず、域外との交通、通信等のアクセスも希薄となり、次第に孤立を深めてついに消滅してしまった事例を見た(5月18日・25日の「瀬尻集落」を参照)。この場合、経済の縮小から人口流出の連鎖のみが強く意識され、そうした視点からの立て直しが中心になり勝ちではなかろうか。しかしそのような手法によってのみでは、 地域内の住民たちの日常生活は蘇らず、かえってじり貧に追い込まれていくのではないか。たとえば、さきにも触れた夕張市はそのような軌跡を歩んでいるように見えなくもない。

当市についてはすでに「2月20日、23日」以下の箇所で、傷んだ無住の市営住宅は補修ではなく、そのまま放置するという「撤退戦」を取らざるを得ず、また今後の道路その他のインフラ整備の維持管理はほぼ絶望的であるなど、その悲惨な財政状況を瞥見して来た。そうした多くの課題の中には、市内の交通体系の問題もある。この事を、次の原武史氏の含蓄ある言葉と共に示しておきたい(朝日新聞・2018/8/19・日・「視界良考」より)。

「夕張の町を歩いた。...目の前を「都バス仕様」の夕鉄バスが通り過ぎていった。財政再生団体である夕張市に東京都から寄贈されたものだという。/夕張市役所企画課冨永啓治課長は(JR石勝線の夕張支線の廃線については―引用者補足)「市民の中にも廃線に反対する意見はあった」と話す。「ですが、支線のインフラ老朽化が激しく、乗客が増える見込みもない。それらを踏まえた上での攻めの選択でした」。廃線後はバスが代替するが、運行本数は倍になり、利便性は向上する。/原さんが反論する。「でも、バスに乗るために外から人が来ることはない。バスは地域を閉じさせてしまうんです。一方、鉄道はインバウンドを含め、それ自体が観光資源になる。そこが根本的に違うんです」/原さんによると、鉄道からバスやBRT(バス高速輸送システム)に切り替えた路線の多くが現在、さらなる乗客減少に直面しているという。「短期的にはバス転換で息がつける。でも、地域人口が減っている以上、その先は危うい」」。

夕張市には夕張市石炭博物館を擁しリニューアルオープン(今年㋃)以来、すでに2万人以上の観覧者を数える盛況で、構内に残る実物の坑道が目玉と言う。実際の鉱脈が実見できるかだ。「これだけの産業遺産を生かしきれず、…結局、鉄道も失おうとしている。市の施策は一見合理的に見えるが、その場しのぎでポリシーがない。千歳空港まで車で約一時間という地の利を生かし、インバウンドを呼び込めば、まだまだ鉄度を生き残らせる目はあったろうに」。

実は夕張支線は廃線以前の乗降客は一列車一桁ないし十数人程度であって、市はJR北海道に対し、今後の20年間のバス運行経費として7億5千万円の拠出金を条件に廃線を申し入れたらしい。JR北海道も渡りに舟とこれに乗ったが、こうした廃線は今や全国路線数の3分の1にもなるとのこと。これに対する原氏の言葉を聴こう。「鉄道は道路に比べて採算が重視されるが、その結果、地方の鉄道は廃線になり、道路だけが残る。だが、今後、自ら運転ができない高齢者が増えれば、地域社会が立ち行かなくなる。欧州のように、鉄道を必須の社会インフラとして考え直す時期が来ている」のではないか。

かく言う筆者も「ノリ鉄」の孫のマゴくらいの鉄道フアンの一人として、原氏の主張に賛成する。人の手の入っていない地方鉄道沿線の美しさと快適さには言葉を失うが、それはともあれ、だいぶ前のジャパンタイムズに、イギリスの鉄道フアン達が毎年のように、わが国の網目のような支線に惹かれてやって来る記事を読んだ覚えがある。これぞインバウンドの好例であろう。