2018年8月15,21日

8月15日・水曜日、晴れ。本日「73年終戦の日」を迎える。平成天皇は、国民と共に戦争の惨禍を思い、改めて平和への祈りを捧げるが、それは天皇としての最後の祈願となる。是非にも叶えられん事を。世界の状勢は愈々険しい故に。

8月21日・火曜日。快晴。前回の継続。

 

(3)、ある集落の消滅は地域存立にかかわる問題だが、ここにはそれだけではない実に多様な意味がこめられていることを、この度教えられた。「天声人語」(朝日新聞・2018年7月1日(日))より。

西予市城川町(愛媛県)では、毎年7月第一日曜日、若者たちと牛たちが泥まみれになって遊び、時には観客まで引き込むという、ユニークな「どろんこ祭り」が催されてきた。明治の初め、田植え後、村人たちが神社の水田に集まり豊作祈願をしたことに発する神事であるが、その後娯楽的要素も加わり、今に伝わった。だが、今年から中止となった。と言うよりも、中止に追い込まれたのである。

この「祭りに欠かせないのは若い衆と和牛。両方とも足らんようになった。高齢者には負担が重すぎます」。継続しようにも出来ない理由は、この一言に尽きる。かつては「都会で働く出身者も祭りに合わせて7月に帰省した。最盛期には数千人が田んぼを囲み、歓声とシャッター音が響いた。」だから「祭りは住民同士の心の結節点でもあった」のだが、今やそれらはバラバラに解かれてしまった。同時に、祭りのためには欠かせない、そして昔より伝えられた大小様々な技術や作法、その背後にある神々との交流、要するにその地域の人々特有の考え方やら生き方の全てが消滅してしまうだろう。

だが、同様の話は事欠かない。「各地で長い歴史のある春の獅子舞、秋の神輿、冬の神楽などが、今や住民に重くのしかかる。どこも若い世代が故郷を離れ、祭りの存続が危ぶまれているのだ」。

その結果はどうなる。各地の個性や特殊性が消失し、日本列島はコンビニやらファミレス等に押されて、何処でも類似した生活様式に覆われてしまう。こんな社会は、一旦事が起これば資本は撤退し、抵抗力も無いまま瓦解する弱さを抱えることになりはしないか。そこでは互いが互いの強さと弱さを補い合う、雑木林のような強靭さは失われてしまうだろう。もっともこんな指摘は、すでに南方熊楠が柳田国男らと共に、神社合祀令(1906)に体を張って反対し、ついにこれを撤回させた事例(『神社合祀に関する意見』)に見られるように、とうの昔から言われてきたことである。にも拘らず、あえてこれを言うのは、現在のその勢いが怒涛の如くであり、もはや制御不能なまでになってしまったという我が危機感からである。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です