2018年7月12,20日

7月12日・木曜日。晴れ。西日本の惨状、目を覆う。町村や市街化の在り様、現状について多々疑問あり。

7月20日・金曜日。晴れ。命の危険を及ぼすほどの猛暑、と気象庁は言う。しかも連日。

 

では、集落の縮小化に絡む住民たちの「話し合い」では、何が中心になろうか。まず集落の地形全体を俯瞰し、住民たちの年齢構成および人口の推移を押さえる。その上で、彼ら自身にとって、この土地に住み続ける、或いは住みたいという将来的な生活環境の維持や保全のために、住民たちが担うことになるはずの負担を考量する。その負担は出来るだけ永続的にならざるを得ないだろう。このような話を詰めて行けば、「担い手の減少に応じて、維持管理が難しい場所を住民自らが選び、集約すべき」区域が決まってくる。そうして、「森に返すエリア、集落全体で保持・活用するエリア」が確定されよう。要するにこれは、「集落の守るべき範囲に線を引き、青写真を描いていく作業」であるが、同時にこの青写真は、誰に強制された訳でもない、住民たちが選び取った将来的な地区像である(147頁)。

都市計画には、ゾーニングと言う計画区域を目的に応じて商業、工業、住宅区域に区分し、規制する手法があるが、以上はそれに等しい作業であろう。それを住民たちが主体的に行うことが重要である、とは作野、林両氏の言葉である。

もちろん、以上の全てが上手くいき、住民たちの願った通りの集落で生活が送れるようになったにせよ、それは彼らの故郷の永続を保障する事にはならない。一度消滅の危機に瀕した集落が再生するなどということは、これまで見てきた理屈から言っても、またそこに至った経緯からみても、ほぼ不可能に近いからである。

ここで大事なことは、住民たちが集落の存続を夢見て、必死に努力したにも拘わらず疲れ果て、いつの間にか四散し、結局は消滅を免れ得ないという「最悪のパターン」を避けることである。そして、消滅と言う同じ結果を受けようと、集落維持のための各自の負担を軽減しながら、無理をせずに今の生活を充実させ、住民自身が得心して幕引きを図っていく。それが可能になるためにも、住民たちの合意形成は何よりも欠かせない手続きなのである。

消滅に対するこのような姿勢は、より積極的な意味を持つことになる。いよいよ離脱を目前にした時、住民たちはある纏まりをもって他地域への移転を考え、実行できるからである。こうして彼らのその後の生活は、互いに助け合った仲間と共に送ることが出来よう。それがいかに心強い事であるかは、震災等で共同体から引き離された高齢者たちが、孤立した生活の中でたちまち変調していく事例を思い起こせば、明らかである。そして、このような集団移転のケースは未だ少数ながら、アンケート調査によれば、1、日常生活の便利さ、2、医療・福祉サービスの向上、3、自然災害や積雪などの不安の軽減、の理由によって移転は積極的に評価されているのである(167頁)。

消滅の危機に直面している集落やその住民たちは、今この事実に向き合い始めている。研究者たちも、以前であれば集落の「消滅」などと言えば袋叩きにあったようだが、その手の研究会や会合には、そうした住民たちや代表者が参加するようになってきたという。

ここでは、これまで集落の「縮小」とその在り方について述べてきたが、しかしそれを言い立てる事がここでの本旨ではない。ただ、少子高齢化の流れは、現在のわが社会では否定すべくもない厳然とした事実であり、これを無視したからと言って、事態はいささかも変わらない。であれば、この縮小を正面から見詰め、それを積極的に捉え直し、そこから新しい社会の在り方を探っていくことは出来ないか。この再生の物語を考えたいがために、まずは「縮小」の構図を捉えようとしたのである。そして、それを踏まえた再生の物語は、我々の生き方にも触れる別種の地平へと我々を引き出すことになるであろう(この項、と言うより「1章」と言うべきか、ひとまず終わり)。


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