2018年7月10日

7月10日・火曜日。炎暑、マイッタ。

 

結論的に言えば、集落の縮小化、さらには集落一体としての他地区への移転、という当事者には切ない覚悟を要する決断、選択肢が迫る。集落の存立がギリギリのところにある限界的集落(住民の高齢化率50%以上、20戸未満)、それどころか消滅さえ迫る危機的集落(高齢化率70%以上、10戸未満)において、その存続を目指した必死の努力といえども、それは冷厳な眼から見れば、単なる抗いでしかない。高齢者の五月雨的な、しかし着実に進む地区住民の減少は、もはや回避できないからである。

こうした見通しが持てず、なお将来に希望をつなごうとするのは、現に見ている現実を直視せず、迫り来る結果に対する危機感の欠如に過ぎない。掛け替えのない故郷の存立に心血を注ぐ住民たちが、コンナ身も蓋もない指摘、批判を浴びせられたらどうであろう。とてもヒトとは思えず、鬼にも見えたに違いない。だが、そのオニがいたのである。島根大学、作野広利教授その人であり、この指摘をまともに受けたのは鍋山地区の秦会長であった。

会長は作野教授のアドバイスを受け、先ずは地区内を再見分し、その結果を「空き地を茶色、農地を緑色、空き家を赤色」として地図に塗り込んだ。こうして、地区内では「荒れ地」が予想以上に浸食しているという現状が把握できた。つまり地区内の可視化がなされ、日々見て知っているつもりが、初めて客観化された。そして、「分かっていたとは言いながらも、地図に塗ってみると、改めて実感させられ」たのである。

このようなマッピングはさらに進み、会長はこれを基に住宅や田畑の集約を含めた集落の将来像について、住民たちとの議論の場を持ちたい。というのも、「かなり大変な話し合いかもしれないけれど」、それこそ人任せでない自分たちが残し、今後とも住みたい集落作りの第一歩だと思うからでる。

これに対する作野教授の言葉はさすが専門家である。「村を縮めるような話」には反発が付き物だが、いよいよダメになってからでは何もできない。その結果は「どんどん住づらくなって、ますます人が減っていくこと」になり、残った住民たちの集落維持はさらに困難になる他はない。こうして四散し、集落が消滅していくケースは野たれ死ともいえる、「最悪のパターン」(林直樹金沢大学准教授)(166頁)であろう(以下次回)。

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