2018年5月2日

5月2日・火曜日。晴れ。はや夏日が続き、今夏の酷暑が予感される。なお、前回の最終部分に筆者としては重要な補足をした。

 

中村氏の著書に触れて、もう一点取り上げ、この項を終えよう。「無防備国家・日本」と題された章での、外国人による国土―とくに山林―の買収問題である。わが社会の土地所有と権利関係、それに絡む法体系の諸問題については、すでにあげた吉原祥子『人口減少時代の土地問題』で詳述されているが、そこでもこの問題は深刻であった。「しかし、農地以外であれば、売買の制限はない。売り主と買い主の二者が通常の経済行為として売買を行う。購入者は誰でもよく、たとえその土地が地域にとって大切な水源地や、港湾・空港・防衛施設の隣接地、国境離島など、国の安全保障上重要な土地であっても、二者の合意だけで売買取引は成立する。地下水の権利も原則、土地所有者に帰属すると考えられている」(吉原前掲書122頁)。

農地以外での土地売買は原則自由であり、さらに規制のかかる農地の違反転用は「年間数千件」に及び、しかも違反事案に対する「罰則が適応されるケース」はほとんどないらしい(123頁)。なぜこんな事になるのであろう。一つには、憲法が保障する私有財産権の壁が行政の取り組みを阻むという指摘がしばしば言われる。同時に、都市化に対する政治や行政の方針の問題もあろう。ここで吉原氏が添えられた言葉がそれを示してはいないか。たとえばドイツ、フランスは国土全体を対象とした土地利用計画制度を持つのに対して、わが国では、「計画的な市街化を図るための市街化調整区域と市街化を抑制するための市街化調整区域は、それぞれ国土面積の4%と10%」でしかない、と(1)。かくてわれわれは、本稿冒頭で見た都市の農村への歯止めなき浸食と荒廃の事情、そしてその理由の一端を見せつけられるであろう。すなわち、包括的な国土の保全計画に対する法整備の不備である。それが山林、辺境地にいかなる事態をもたらしたであろうか(以下次回)。

 

(1)政治家と行政が主導権を握って農地を減らした興味ある事例として、中村氏は言う。農地減反政策が取られ始めた1969年のことであった。コメ余りが当時の食管制度の維持を脅かし、国は150万トンの減反政策に追い込まれた。だが、これに付けられた予算は100万トン分でしかない。そこで時の農相・倉石忠雄と農林次官は会い図った。「角栄さんはこう言うんだ。予算は100万トンを調整する分くらいしかない。全体で150万トンを減らす方針だから金が足りない。そこで残りの50万トン分は農地転用でやれ、とこうだよ」。かくて農地は道路や工場、宅地となった(中村前掲書55頁)。この一事を以てしても、わが国の農地に対する扱い、方針とは、一応法的規制はあるものの、それらは時々の政権の都合、政治情勢によってどうにでもなるという現状が見て取れるであろう。


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