2018年4月20,27日

4月20日・金曜日。晴れ。早や夏日。実は4月13日・金曜日にも本ブログを更新しているが、それは2月16日・金曜日及び2月23日・金曜日の本文に付した注として書かれたため、前回の文章は休載の形となった。興味の向きには、遡ってご一読いただければ、と思う。

4月27日・金曜日。曇りだが、蒸す。

 

GDPに占める農業の比率が、戦後直後を除けば、一貫して急減していることは今更言うまでもなかろう。農業人口、農家数、農地のいずれも縮小し続けたのだから、それも当然である。平成29年の最新のデータによれば、農業就業人口は181.6万人であり、生産年齢人口(15~64歳・約7600万人・国立社会保障・人口問題研究所)に対して2.3%である(農林業センサスより)。これを人口構成比で見れば、65歳以上の後期高齢者層は66.3%であるのに対して、49歳以下の農業従事者は10.5%に過ぎない(同農業センサス)。その結果、農業のGDP比はほぼ1.5%という。もっともこの比率自体は、先進国の中で比較すれば、特に低いわけではない。(なお、この種のデータは、今やその気になれば、誰でもネット上で取得しうるであろうから、以下では必要と思われる限りで示すことにしたい)。

GDP比はともあれ(産業発展はペティ=クラークの法則と言われるように、通常一次から二次、三次産業へと発展し、生産性や就業人口もそれにつれてシフトするものであり、一次産業である農業のGDP比が減少するのは当然である)、農業人口の激減と高齢化はいかにも深刻である。それ故にであろう、中村靖彦氏は、「川上村」に託してこの問題をやがて迫るわが国の食糧危機の第一に据えられたのではなかろうか。

しかし危機に瀕する食糧問題は、もちろんこれに尽きない。わが国の国是である経済の自由主義政策は農業の保護主義政策と常に衝突し、経済の自由化に圧されて国内市場は海外の農産物に席巻される。これに対処するための農家への各種の保護策や補助金政策は、米はじめ諸国からの批判に加えて、都市生活者や他産業との政治的な激しい論争の的となる。これを示す前外務大臣・前原誠司の言葉は象徴的である。「日本の農業産出額は、GDP(国内総生産)の一・五%しかない。残りの九八・五%のかなりの部分がこの一・五%のために犠牲になっているのが現実で、おかしなことだ」(前掲書183頁)。

また戦後の農業政策は一貫して米作に手厚く、それが小規模農家を助け、米作の大規模化や多品種の農産物栽培への道を阻んだ、とも言われる。つまり、戦後農政の失敗である。その結果、一方ではコメ余りを来たしながら、他方で養豚、肉牛、酪農牛を支える大豆、トウモロコシと言った飼料はほぼ米・カナダ・オーストラリア等からの輸入に頼らざるを得ない。それはわが国の食糧自給率の問題の一因ともなっている。確かに、今後とも自由貿易に徹し、工業やAI産業を発展させ、代わりに海外から農産物を輸入することで食糧問題を回避する道は、理屈としてはない訳ではない。その先例はすでに19世紀初頭にあった。ドーバー海峡をはさんで英仏が対峙した折、ナポレオンが海上封鎖によって英国への食糧途絶を画した。しかしリカードは主張する。輸入によって農産物は必ず確保されるから心配ない。彼はこうして自由主義貿易論を貫いたのである。

そして、それに連なる論者は、今もいる。しかし、中村氏は「世界の食を呑込む中国」の現状と今後を提示する。何しろ15億の人口を擁するという中国である。その10%が先進国並みの消費水準に達すれば(それだけでわが国の総人口数をこえる)、日本への食糧輸入は確保されるのか。さらに他国への食糧依存は、当該国が真に飢饉に瀕した場合、食糧輸出は保証されないであろう。とすれば、自国への食糧危機の危険性は拭いえない。この論点は、先のリカードの主張に対して、マルサスが突きつけた問題でもあった。同時に、食の自由貿易論者には、わが国は今後ともづっと、世界市場のトップランナーとしての地歩を維持し、外貨を確保し続けられるのか、と問いたい。近世以降の世界市場で見られた覇者の変遷を挙げるまでも無く、それは限りなく困難である。現に今や、わが国経済は技術開発を含めて、韓国、より以上に中国の追い上げに四苦八苦どころか、EV(電気自動車)、情報分野の一部ではすでに抜き去られているではないか(以下次回)。

2018年4月5,9日

4月5日・木曜日。曇り。本日、大学付属中高の入学式であった。3,4月は大学役職者にとって卒業・入学式と中々多忙である。本学の場合、都合11日間に及ぶ。だが、それは何ほどの事もない。それ以上に生徒、学生にとっては人生上の大きな節目となる儀式であり、参列する父母の思いも深い。それだけに、それに相応しく、意義深いものであらねばならぬ。

4月9日・月曜日。晴れ。

 

人口減少とは、筆者の考える以上に深刻な問題であった。中村靖彦『日本の食糧が危ない』(岩波新書・2011)の報告がその一端を示す。2010年9月のとある早朝4時、著者はレタス産地として名高い長野県川上村の畑に立った。八ヶ岳連峰すそ野に広がる大地は標高一千メートルの地にあるだけに、都会の猛暑とは打って変わった肌寒さである。そこでは、頭にヘッドランプを付けた男たちが2時間ほど前から、レタスの取入れに従事していた。新鮮さが命の野菜はこの時間であれば、都会の市場に朝摘みレタスとして出荷できる。それにしても、毎朝、大変な労働である。

ドウ大変か。レタスの根切り、収穫、段ボール詰め、運搬といった作業を毎朝未明から行い、しかもそれは2、3ヶ月ほど続く。収穫以前の作付け作業を入れれば優に半年間の、時に過酷な大地との闘いとなる。そんな苦労をしたあげく、自然を相手の農産物は天候次第で市場価格の乱高下を免れず、安定的な収入を見込めぬ不安をかこつ。仕事はきつく、収入がそれに見合わなければ離農となるのはやむを得ない。

事実、20年前の「1985年には240万戸」であった野菜農家の総数は2005年には120万戸と半減し、しかも65歳以上の高齢者の比率は15%から40%へと倍増する。ただ、この高齢化率の数値は野菜以外の農作物の場合に比して低いらしい。米作等では野菜作りよりもまだ仕事は楽な上、収入的にも安定しており、高齢者が頑張れるが、野菜ではそうは行かない。「年寄りには野菜作りは辛い。特に重い種類の収穫や運搬などの労働はきつい。だからこの種の野菜の作付け面積は減って、とうぜん生産量も減った」。高齢者の離農が進行するにつれ、野菜農家の総戸数が同時に減少するとは、「つまり、若者が野菜作りから離れて行ったことを意味する」(4-5頁)。

では、先ほどの未明に働く男たちとは、いったい誰だというのか。中国人たちである。我々は減少した農産物を中国から輸入するばかりか、人手まで頼っているのである。「川上村は、日本の野菜産地の悩みを示す典型的な例かもしれない」と著者は纏め、さらにそこに至る経緯を明らかにするが、それは本書をお読みいただきたい。

私がここでこうした事例を挙げるのは、単なる物品の輸出入ばかりか、生産の場、しかも農業という生活の最も根源的な生産の場ですら、わが国は自ら支えられなくなっているという現実である。政府は移民を認めておらず、また外国人労働者の受け入れにも制限的である。しかしそれは表向きのことで、実際は留学生、研修生(川上村の中国人もそうである)他様々な名目で多くの外国人労働者を受け入れざるを得なくなっているのである。

この問題については、別の項目で改めて論ずるつもりであるが、ここで一点指摘しておきたい。このようにして受け入れた外国人を安価な労働力としてのみ処遇し、不要になればオッポリ出すようなことに明け暮れれば、それは必ず社会不安や破壊活動の温床になる。受け入れたからには必ず、権利と各種の保証を付与しなければならない。その費用と負担は惜しんではならない。その覚悟がなければ、我々は苦しくとも彼らを帰国させるべきである(以下次回)。