2018年2月20,23日

2月20日・火曜日。晴れ。鶴巻公園の落葉樹、いまだ新芽を見せぬものの、その実確実に膨らむ。

2月23日・金曜日。晴れ。

 

(2)新しい町の形

前項で筆者が言いたかったことは、わが国の都市や市街地は中央、地方を問わず、無計画に拡散し、市街地の果てたところから田地が始まる。だがそこは、確定された農業地と言うよりも、しばしば人口圧力に応じて宅地化される市街化用の候補地であり、殊に大都市郊外地の場合、資産価値の狂騰が見込まれる各種開発こそ待たれる土地である。かくて、都市のスプロール現象は止まるところを知らない、と言うことであった(1)。

勿論、行政はそのような野放図な都市開発によってもたらされる都市環境の悪化、さらには公共投資の負担や行政サービスの非効率性にかんがみ、これらに対する歯止めとして都市計画法(1969施行)、土地基本法(1990公布。公共の福祉を優先した土地利用の在り方を規定した法律)等を策定するなど対策は取ってきたが、十分功を奏したとは言えない。であればこそ、こうした各種の法が制定されたのであろう。

では、そのように拡散した市圏の拡大がもたらす環境悪化や行政サービスの低下(時には消滅)が、最悪如何なるものになりうるかを、たとえば『縮小ニッポンの衝撃』(NHKスペシャル取材班、講談社現代新書・2017)によって見てみよう。所は「財政再建団体」として全国に知られた夕張市である。市は2006年、353億円の赤字を抱えて財政破綻に追い込まれ、翌年国の管轄下に置かれる財政再建団体に指定される。

そこに至る経過を記せば、こうである。バブル崩壊後の1995年当時、日本経済は証券・大手銀行の破綻が相次ぐ時代であったが、市は「炭鉱から観光へ」のスローガンのもと、次々第三セクターを設立し、テーマパークやスキー場の買収やらと「超」積極的な自治体運営に邁進し、そのすべてが破綻した。加えて粉飾まがいのヤミ起債問題まで発覚した。かくて、市は予算編成から市独自の事業も全て国の管理下に置かれる。「2017年3月時点の債務残高は238億円。今後20年間にわたって毎年26億円を返済し続けていかねばならない一方で地方税収入はわずか8億円。地方交付税交付金や国や道からの支出金によって、どうにか帳尻」を合わせている状況である。

その結果としての行政サービスはこうなる。東京23区よりも広大な市圏を擁する当市の住宅管理は、もはや管理というよりも放置から「撤退戦」の段階にある。市の全域に広がる市営住宅の内、2020年には1200世帯以上の住居が耐用年数の期限を迎えるほどと言うことからも、その膨大さは察せられよう。手当の基準は住居の傷み具合を超し、「住民の身に危険がおよぶかどうか」にあるという。これはもう管理放棄であり、空き家住宅の消滅を目指す、まさに「撤退戦」の実施に違いない(以下次回)。

 

(1)わが国と西欧諸国のそうした都市構造の違いは、まずもってその成立過程の相違に帰するようである。わが近代都市の原型は江戸時代の城下町であり、その在り様は西欧中世都市とは全く異なっていた。城下町は西欧とは反対に、城の外のしかも「最も生産性の高い農地」の直中で発展し、その意味で町は農業と共存していたのである。ここに、「西欧型の都市計画の手法であった「線引き」による都市と農業との裁断がむつかしい条件」があった。そして、こうしたわが国の「都市の歴史的性格は、明治以降の近代化に伴う都市空間の膨張の過程でも、つねに問題」となって付きまとうことになるのである。

問題はこれに留まらない。その後の急速な都市化は当然、それに付帯する道路・下水道・公園等のための土地やインフラ整備を不可欠とするが、それらに対する資金の不足と地下急上昇とが相まって、都市建設は地価の安価な調整区域へと追い込まれる結果となったのである(都市研究懇話会他編『都市の風景 日本とヨーロッパの緑農比較』23-4頁。三省堂、1987)。


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