2018年2月1日

2月1日・木曜日。曇りのち雨。夕刻より雪の予報あり。

都市と農村

今、伊勢崎線沿線の市街地のことを言ったが、事情は程度の差はあれ、似たり寄ったりではなかろうか。駅周辺はそれなりの賑わい、と言えば聞こえはいいが、どこでも似たようなバスターミナルと商店街が雑然とし、市街地整備をした街では幅の広い分不相応の道路が駅前から走り、朝夕のラッシュアワー以外にはかえって寒々しい景観を呈する。このような道路は車の走行を最優先したまさに自動車専用路であるが、それだけに、これは車が走り去ってしまえば、何も残らないただの空間としてしか在り様がないものとなる。そこでは、子供や大人が立ち混ざり、お喋りをし、お茶を飲み、買い物を楽しみながら、生活空間として親しむという、ヨーロッパの諸都市では今でもみられる道の機能は奪われてしまった(1)。その背後にある都市設計(?)は、恐らく駅周辺なるものは住まいから駅に着いたら、サッサと乗りついて勤めに行きなさい、と言ったたぐいの効率優先的なものなのであろう。

そして、この道路に沿って車を走らせれば(もっとも私は運転できないのだが)、何処までも市街地のような景観が続き、と言って街としての纏まりはなく、空き地のような、田畑のような、要するにスカスカとした空間と、不揃いな民家やマンションが混在したまま、いつの間にか隣接の市区へと紛れ込む。あるいは、突如、開けた田園か原野に至り、そこでも統一された田園風景が望まれるわけではなく、廃材や資材置き場の近辺に数軒の民家が寄り添うという具合である。私はこの数十年と言うもの、このような都市景観をあちこちで目にしてきたような気がする(以下次回、本日積雪の恐れがあり、これまで)。

(1)街路の多様な意味について、こんな事例はどうか。「中世の街路は、つまり職業生活の本拠であると同時に、おしゃべり、会話、見世物、遊びなどの本拠でもあった」。「こうした中世の街路は、今日のアラブの街路と同様に、個人生活の親密性に対立してはいない。それは個人生活の外への延長なのであり、仕事と社交の身近な区域なのである。…この個人生活は家の中と同じくらいかあるいはもっと多く、街路で送られてもいたようではあるが」(フィリップ・アリエス・杉山光信、恵美子訳『子供の誕生―アンシャンレジーム期の子供と家族生活』みすず書房・2001、320頁)。


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