2018年1月26日

1月26日・金曜日。晴れ。日陰の雪、いよいよ氷付き、寒気いまだ緩まず。

論に先立ち、まず感謝を述べさせていただく。筆者は前回、以下の論議では読者の積極的な参加を願い、異論その他文献、資料等お気付きの点があれば、是非ご指摘あれ、そのようにしてここでの主題を我々の共同の問題として考える場としたい、と述べたが、早速I氏より『人工知能と経済の未来』を教えられ(即購入)、日経新聞のここでの主題に関わりそうな幾つかの切り抜き及びコピーを頂戴した。その内容から、氏には「たたむ」社会の方向性がすでにして胚胎し始めているのではないか、との手応えを覚えた次第である。ただ読者にはこれほどの労を取られる必要はなく、例えば新聞社名・掲載日・見出しあるいは書名等をinfo@ccrt.co.jpまたは本ブログのコメント欄に記載して頂ければ、それで十分である。

ここで前回の文章を少し補足しておこう。社会を「たたむ」事に思い至った理由についてである。私事に及ぶことながら、筆者は現在、埼玉県春日部市に在住し既に38年、それ以前は志木市で7年を暮らした。都合45年の埼玉県民である。にも関わらず、我が本籍地は東京都文京区小日向である。役所への様々な届出の度に、春日町の文京区役所に出向かなければならぬ不便をかこつ。だから親父が存命のころ、本籍地を移そうかと思う、とフト漏らしたところ、イヤ、止めとけ、と一言。その意味は問わずとも分かった。むしろソンナ返事を予想して、そう言ったのかも知れない。深川生まれの深川育ちの職人であり、母親は生まれも育ちも人形町である。「ヤダねー、お前のとこは日光のふもとなんだろう」、これが大事な長男に言う母親の言葉か?

我が同僚に前日本人口学会会長・安蔵伸治(現明治大学付属高等学校・中学校校長)がいる。彼は大恩ある私にコウ言い放った。「先生は、今や人生の大半以上が埼玉県人なのですから、江戸っ子、と言うのは、もう無理なんじゃないですか!」。思わず、反撃してやった。「ヴァかメー、オレは昼間はどこにいると思ってるんだ、御茶ノ水だー」。かく言う安蔵は墨田区八広の在であり、そこで「川向うは江戸っ子じゃネー」とは、我が悪口である。

土地へのこだわりは理屈ではない。埒もないソンナ拘りが、何の得も無ければ、むしろ負担になるのも承知で捨てきれないでいることは、どなたも同じであろう。ただ筆者がこのような一席を披露したのは、今日に至るまで、筆者は人中で暮らし、それ以外は知らない生活であった。それだけに、春日部はもとより、伊勢崎線沿線の急行停車駅ですら昼も夜もスカスカした街の佇まいには一層の寂寥感を覚え、田園ならいざ知らず、街の造りとしてこれで良いのか、との思いに捉われたからである。そして、その視線が地方都市のシャッター街に向かう時、この感懐は一入のものとなる。

このような思いが凝ったのであろうか、それが以下で考えようとする「社会のたたみ方」の出発点になったという訳である(以下次回)。

2018年1月11日

2018年1月11日・木曜日。晴れ。やっと仕事始め。五年目の仕切りとしては、誠に悠長、と言うよりシマリのないことで、こんなことで本年を乗り切れるものやら、甚だ心許ない限りながら、先ずは本年もよろしくお願いしますと、ご挨拶させていただく。

今日から、「社会のたたみ方」なる主題で、論文のようなものを書いてみようとは、昨年末に予告し、その意気込みは賀状にも記したことであり、今更止めましたとは、チト言いにくい。とは言え、次なる駄句を添えて、それとなく逃げ道を用意したのではあるが…。

寒風に鉄の駿馬ははや駑馬に  みつを。

私には、自転車を矢のように疾駆させたかつての面影はもはや失せ、今や駑馬のごとし。よって、こんな大それた試みはいつ放棄しても責任は取りません。そんな心算で、以下お付き合いのほどを。これだけのことを申し上げ、仕度を整え、覚悟を固めて、いざ舞台に。

社会のたたみ方

(1)はじめに

これからの進め方

手元には、すでに出来上がった原稿があるという訳ではない。これまで読んだ文献、資料をもとに考えを纏めつつ、それを文章化し、その過程で新たに浮上して来た問題について検討し、本文に接合する。そんなやり方で論を進めていこうと思う。その方向がどこに向かい、どれ程の深みを持ち、最後にいかなる形になるか、私自身にも皆目分からない。

そしてこれは私にとって初めての試みであり、恐らく無責任の誹りは免れ難いが、しかしこれだけは言える。以下の思索、文章は、私と読者とが共に考え、苦闘し、練り上げようとするものである。とすれば、もはや私一人がではなく、読者と筆者が共々に一体となり、一つの思考が形作られる過程を見届けることになる。であれば、以下において異論や抜け落ちた論点、あるいは別の着想、その他ふれるべき論文等があれば、是非ご指摘頂き、また議論にも参加されたい。

こうは言っても、「社会のたたみ方」ということで何を言おうとするのか、この点について一言しておかなければ、あまりに漠然としすぎて、議論に入り様もない。そこで、ここではとりあえずの考え方だけでも示しておきたい。「とりあえず」とは、論の進むに従い、この論題の意味がより明瞭になる事を期待したいからである。

先ず、ここで言う「社会」とは地域社会、地方社会を言い、また大都会の中のストンと抜け落ちた地区を含みたい。「たたみ方」とは、そうした社会、地域を無理なく接合し、コンパクト化して、その活性化を図り、そこに住み、暮らす住民が喜びと生きがいの持てる町造りを目指す、そのような一つの政策提言であろうとするものである。

ここでの発想の基底には、経済発展をベースにして人口増を目指すという成長主義からの決別がある。わが国の現状は、そうした楽観をもはや許さない。そんな時代はもはや去った。それは様々なデータから明らかであろうと考えるからだ。これがここでの時代認識である。以下の論議は、そうした現状および時代の認識を、既に刊行されている幾つかの文献を通して確認することから始めたい。そうした作業を重ねることで、本論文の骨格が組み上がるはずであり、その時点で一応の目次も提示されるであろう(以上の文章は開示されるが、後に大幅に改められることを許されたい。以後も同じ)。