2017年12月15日

12月15日・金曜日。曇り。いよいよ押しつまる。今年の漢字は「北」であったが、私には「乱」が相応しい。さて、諸氏は…?

言語とは、われわれ人間にとって何であろうとお考えか?ふつうそれは、「コミュニケーション」のための一手段、だが最も重大な手段だと思われないだろうか。言語は、モッパラそのためのモノだと。かく言う私は、そう思ってきた。しかし、それはどうも違うらしい。たとえば服は、本来、寒暖を防ぐ用具として発達しながら、しかし他方で自己主張やセンスの発露他、多様な手段として役立つのと同様に、コミュニケーションのための言語機能とは、そういう何か派生的なものであるらしい。だから、こうなる。「言語はコミュニケーション・システムとして進化したのではない…初期の言語はもっと…現実世界の構築、思考の道具として進化した」(87頁)との研究成果に基づき、著者は「統計的に言うと、言語が圧倒的に使われるのは内的 ― つまり思考のためだ」と言い切る(86頁)。そして、人間言語の構造、すなわち意味論、統辞論、形態論、音韻論(申し訳ないが、これらを解説する余裕、と言うより能力はない)において、「人間言語の中核的性質は、動物の意思伝達システムとはまったく違い、生物世界ではほとんど唯一無二のモノのようだ」(87頁)。

言語が伝達手段というよりも思考の手段だ、という指摘は極めて重要である。われわれは言葉を介してしか思考できず、言葉を奪われたとき思考は成り立たない(この場合、発話は重要ではない。手話も同一の意味を持つとは、著者の繰り返すところである)。すでにジョージ・オーウェルは「1984」において、スターリンを模した独裁者が「ニュースピークス」なる新言語を国民に強制し、思考の単純化と愚民化を推進するという、独裁政治の暗黒を描いたが、この時オーウェルは言語の重要性を十分知っていたのであろう。

では、このような唯一無二の言語体系の発達はいかにして可能であったか。言語の進化を扱おうとする本書の目的はここにある。結論的に言えば、それはアフリカの原野において、われわれ現生人類であるホモ・サピエンスが登場した時代に遡る6万年前の事であった。ネアンデルタール人から現生人類に至る長大な進化の過程でその脳内に生じた「突然変異」の結果であった。ここに著者はダーウィンの進化論と切り結ぶ。彼は人も知るように、突然変異を否定し、漸進的変異の累積により生物進化を捉えていたからである。

著者は古生物学の進化過程を追いながら、特に人間の脳の進化を追究し、ネアンデルタール人の脳容積とホモ・サピエンスの容積は遜色ないものの、しかし後者の脳内における特異性、すなわち、脳内の言語を司る部位の「繊維束」の「環」が閉じられたことに着目するのである(205-214頁)。前者ではその環が開いたままであったと言う。

以上、自分でも何を言っているのか分らぬままに、こんな一文を草してきたが、本を読むとは、書かれた全てを分からなければ読んだ甲斐がないというものでも無かろう。負け惜しみを言う訳ではないが、これまでの我が研究体験から言って、著者自身が自己撞着に陥り、ご自分でも何を言っているか分からぬ歴史上の第一級の思想書は幾らでもある。とすれば、凡人たるわれわれが興味のある本に出会い、分からぬままに分かるところを読み取り、ご自分の糧にする、そんな気楽さで本に付き合ったらいかがか。こんな思いであえて暴挙、いな恥を晒した次第である。

以上をもって今年の書き納めとしたい。一年間、お付き合い頂き感謝申し上げ、来年もよろしく。皆様、よいお年をお迎えあれ。


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