2017年12月1日

師走・朔日・金曜日。曇り。早いものだ。これ以外の言葉は思いつかない。

ノッケから恐縮ながら、次の文章をお読み頂こう。「最近ではコミンズとゲントナー、そしてエンゲッサー他が、この学習能力は単なる順序付け以上のものであることを示唆している。コミンズとゲントナーは、ムクドリが人間の音声システムを思わせる抽象的なカテゴリー形成能力を示すと報告している。そしてエンゲッサーらは、音素対立を持つ鳥の種を一つ――クリボウシオウストラリアマルハシ――発見したと主張している。種に固有の能力があることを指摘したのがコーエンだった。…」(22頁)。

これはチョムスキー、バーウィック共著の『チョムスキー言語学講義』(渡会圭子訳・ちくま学芸文庫)からの一文である。オビには「人類進化にとって、なぜ言語が問題なのか?その本質を問う格好の入門講義。」とあり、これに引かれて手に取った。この分野のわが基礎知識たるや誠にリッパなもので、英・独語の在るか無しやのか細い文法と、はるか昔に習った日本語の文法的知識(❓)のその残滓くらいのモノでしかない。これを唯一つの財産として、多少の興味があると言うだけで、本書に挑んだという訳である。

いくら「格好の入門講義」と歌われていても、これではとても歯が立つまいと予想の通りの仕儀ではあったが、しかし考えてみれば、これまでの我が研究生活なるものもこれに類したことで、了解不能な書物の数々をともあれ最後まで取っ付いて諦めないという訓練が功を奏したか、この度もまたとにかく最後の頁までたどり着いた。本文217頁に四日を要す。

まず、本書中に出てくる研究者や膨大な文献、その成果の意味等々について、私はマッタク知らない。であれば、冒頭の文章が分かろうはずも無く、そして、この手の文が延々と続くのである。だが訳文は、私の直感では、名訳である。分野は多岐にわたり、素材の難易度は半端ではない。これをよくぞ完訳されたと、訳者の能力と努力とに敬服する。しかし解説は無く、訳注も本文中の簡単な補足を除いて一切ない、ただいきなり本文が出てくるという素っ気なさには、正直マイッタ。しかし、読了して思うに、解説、訳注を付そうとすれば、精度にもよるが、本書は優に二、三倍の分量にならざるを得なかったであろう。

本書は以上の通りであるが、それにも関わらず、私のような全くの門外漢であっても理解できる。勿論、多様な問題領域や細部における論議、その意義いかんなぞ分かるはずも無いが、著者が説いてやまない、またこれだけは解れと主張する論点はそれなりに理解できるのである。それが本書の力であり、訳者はその事を十分承知していたから、余分とするところを省くことが出来たのであろう(以下次回)。


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