2017年9月29日

9月29日・金曜日。快晴。前回の文章、多少手直しする(なお、そうした手入れは毎回のことであると、一言しておく)。

先ず、下山貞則の轢断死体は自殺であったのか、他殺であったのか。総裁を良く知る周辺の人たちは、当初から他殺を疑っていた。残された遺品や状況証拠からも自殺は考えられなかったからである。にもかかわらず、捜査は次第に自殺説へと傾いていく。決定的なのは、事件前日、下山が宿泊したと言われる旅館の女将が総裁に似た客の宿泊を警察にハッキリと証言し、また彼と思しき人物が現場近辺を徘徊している様を何人かが目撃しているからである。ただ、これらの証言は、巧みに変更され、捏造の様相が濃く、しかも女将の主人は特高上がりで、警察とも関わりのある人物であった。つまり、こうした証拠に対する疑念は払拭されていないばかりか、替え玉説を含めて益々疑いを深めるのである。

決定的なのは、轢断死体はそれ以前にすでに死亡していたとの解剖所見である。下山の遺体解剖を担当したのは、古畑鑑定として知られる東大法医学教室主任教授・古畑種基であった。教授は多くの司法解剖を手掛け、警察庁科学警察研究所長を歴任するなど、わが国の科学捜査の発展に多大な功績を残したと言われる人である。その四男・和孝氏(東京大学名誉教授)が著者にこう語った。「父は、こう言っていました。下山事件は学問的(解剖学的)には実に簡単な問題だと。死後轢断は動かし難い歴然とした事実であると」(柴田前掲書480頁)。

にも拘らず、古畑は事件後国会にまで呼び出され、自殺説を展開する慶応大学・中館教授の論難に対し、さしたる反論をしなかったようで(同書481頁)、著者はこれを訝っているが、やむにやまれぬ圧力があったのであろうか。ここに至る入り組んだ経過と不気味さは、とても一口に言えるものではなく、興味の向きには、是非、本書を一読されたい。ここでは731部隊の関与が問題であったのだし、それについてのみ、一点文章を引用して長くなったこの項をそろそろ閉じることにしたい。

「下山総裁は事件当日に拷問を受けたと考えられる。総裁の体には、性器の先端や両手足、内臓の皮下出血など、生活反応のある傷がいくつか残っていた。これは生きている時に暴行を受けた痕跡だ。…総裁は、血液を抜かれて殺された。ただ殺害し、自殺に見せかけるだけならば、このような手のこんだ手段を用いる必然性は存在しない。「血を抜く」という手法は、古くは中国で、最近ではベトナム戦争時の解放軍によっても敵将を自白させるための拷問として用いられてきた。中世のヨーロッパのキリスト教社会では、魔女狩りの自白にも使われている。…いずれにしても血を抜くという手法は殺害方法としてはきわめて稀だ。その目的は「拷問」であり「自白」である」(458頁)。

文意はお分かり頂けるであろう。著者によれば、総裁は他殺であり、拷問を目的とする「血抜き」の刑であった。著者は1999年の9月、戦時中に731部隊に所属していたA氏(82歳)を訪ね、部隊の事ではなく、下山事件の件で衝撃的な話を聞かされた。話はこんな風に始まる。「別に大したことじゃないんですがね。下山さんは、確か血を抜かれてお亡くなりになったとか。それで、ぴんときたんですよ。ああこれは、七三一部隊の仕業だって…。」「どういうことでしょう。血を抜くのと、七三一部隊が何か関係があるんですか?」「ええ、ま…。これは森村誠一の本にも書いていなかったから、一般の方はご存じないと思うんですがね。七三一部隊では細菌兵器の研究の他にもいろいろな人体実験をやっとったんですよ。例えば断水。人間は何日水を飲まなかったら死ぬかとかね。他には断食。耐寒。これは零下十度の戸外に裸で放置したら何時間で死ぬかとか。感電実験とか高温実験とか、よくあれだけ残酷なことを考えついたものです。その中に、抜血とう実験があったんですよ…」。「なぜ、そんなことを?」。「人間は体重の何パーセントの血を抜いたら体温がどのくらい下がるとか、意識を失うとか、死んでしまうとか…。そういうデータを取るわけですよ。拷問とかには、一番効果的だとは聞いています。なにしろ自分の命の時間が見えるわけですから、死ぬ覚悟がなければ話してしまいますね」(473頁)(以下次回)。


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