2017年9月5日

9月5日・火曜日。薄曇り。秋晴れとは程遠い陽気が続く。

帝銀事件については、関係図書を読むにつれ、その闇の深さと誰でもこうした罠に落とし込まれるのではないかとの恐怖を覚える。警察、検察、裁判所は一体となり、拷問まがいの取り調べから調書の改竄、証拠の捏造、それに基づく判決へと遮二無二突き進むが、ここには漸く掛かった獲物を是非にも真犯人として裁き、一刻も早く事件を決着させようようとの禍々しい意思を感ずる。それは、最高裁の判決により死刑囚となった平沢及び支援団体の必死の闘争と十数度の再審請求を、司法はことごとく棄却し、平沢の獄死後の今なお継続される請求運動からも見て取れる(この度第20回目の再審請求が出されるようである。浜田前掲書)。

事件は明治憲法から現憲法への転換の直後にあり、しかも刑法は旧法がそのまま踏襲され、いまだ客観的な物証より自白が重視され、かくて刑事や判事はなりふり構わず自白を求め、誘導的かつ強迫的な取り調べに走る時代であった。現憲法は公務員による拷問禁止を謳っているが、その精神は一顧だにされず、ここにも平沢の不幸があった。そうした多くの不備や占領下での、しかもGHQの介入までも疑われる大事件をこんな短文でケリを付けられる訳も無く、関心の向きには清張はじめ手ごろな本もあろうが、ここでは平沢救出に全財産と身命を捧げ、遂には子息まで平沢の養子になった森川哲郎『ドキュメント「闇の昭和史」秘録 帝銀事件』(祥伝社文庫)を挙げておく。

先に、帝銀事件には731部隊の関与があり、当初捜査本部はその線を追及していた、と言った。それがどの程度のものであったかを伺わせる文章が森川前書にあり、これを引用して、ひとまず我が帝銀事件考に始末をつけよう。

「成智警部補の提出した報告書には、次のように書かれてあった。

(一)帝銀の犯人は、自ら毒物を飲んで見せている。これは致死量の限界を知っている者だけにできる特異な技術である。

(二)使用した青酸カリ溶液は、最低致死量である。

この場合、初期中毒症状が発生するまで、一分ないし二分を要する。

現場に引き止め策として、第二薬と称し一分後に単なる水を飲ませていることは、実験の経験者か、その実験データを検討した者以外に、知ることのできない秘密である。

石井部隊以外の者にはできないのではないか?

(三)最低致死量の青酸カリを五グラムの水に溶解すると混濁する。帝銀現場で用いられた第一薬は、混濁していた。

(四)ピペットは、軍の特殊工作員の用いた駒込型ピペットであったが、その持ち方と飲ませ方が、軍で予防薬を飲ませたときと同じであり、軍医経験者か、同部隊要員以外にはあり得ない。

(五)冷静沈着な行動ぶり、いかにも医者らしい雰囲気と風格のもとに、最後まで事を処したのは、殺人の実験者特有のものである。

(六)結論として、この犯人は、七三一部隊出身者の容疑がきわめて濃厚である。

この結論のもとに、警視庁は、全能力をあげて真犯人を追いつめていた」(73頁)。

731部隊の線は新聞社でも追っていたようなのである。部隊の動静は米軍によって管理され、それはひた隠しにされていたが、遂にそれが漏れはじめた。読売新聞が突き止めた。そのとたん社会部次長大木氏が警視庁からの呼び出しを受け、急ぎ出向けば、米軍情報部のイートン中佐、藤田合同捜査本部長らからの、有無を言わせぬ厳命を受けた。「即刻に七三一部隊から手を引くように。」というのは「石井部隊は、米ソ戦に備えて、現在保護を加えて温存している状態である。これをアバキたてられては米軍は、国際的に非常に苦境に陥る。石井部隊全員も戦犯裁判に付さなければならない」(同211-2頁)。国家の大事の前には、一個人の命運など塵芥ほどの価値も無し、と言う事であろうか。それ故に恐ろしい話である。

この話はこれで終えるが、しかし731部隊の魔手はこれでは済まなかった。それを知って、私自身慄然としたのである(以下次回)。


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