2017年8月18,21日

8月18日・金曜日。曇り、蒸し暑し。過日、NHKの「731部隊」特番の再放送を教えられ、録画によってこれを観た。やはり映像の力は違う。よくぞ製作し、放映したものだ。これが我が第一印象であったが、番組関係者の今後を思わざるを得ない。時代はそれを予感させるからである。また、収集した資料の膨大さに目を見張る。是非、その展示、閲覧の可能性を開いて欲しい。

8月21日・月曜日。曇りのち、晴れ。蒸し暑く、不快。(なお、8月14日・月曜日の記述は大いに訂正する。誤解、誤記のため)。

平沢は天覧画を供するようなテンペラ画の大家であった。が、奇矯なる人でもあったようだ。その経緯はともかく、しばしば嘘と誠の境が混濁し、周囲からは虚言癖のある人間として見られていた。それだからであろうか、彼には人には言えない、露見すれば犯罪者となる秘密があった。帝銀事件から遡る事2ヶ月前の11月25日、彼は小切手を換金するため三菱銀行丸ビル支店にいた。折しも、預金を引き出そうと当行に来た女性事務員が、受付番号を落としたのに気づかぬまま、フイと外出する。まさにその時、当の番号が呼ばれ、平沢は素早く拾い、「一万円と預金通帳と印鑑を受け取」り、さらにあろう事か、通帳の改竄に及んで、預金額を40万円にまで増額する。これをカタに借金を計画し、小切手に替えて銀座の日本堂時計店から宝石の購入を画策する始末であった。いずれも未遂に終わる事件であったが、これが後に言う「日本堂事件」である(浜田壽美男前掲書、52頁)。

平沢が逮捕されるのは事件から7か月後の8月21日である。捜査本部は、当初名刺の線上から捕えた平沢を本ボシとは見ていなかった。その後の調査でも、依然確たる物証は出ず、何より椎名町店の生き残った行員の第一回の面通しで、彼だと証言した者は誰もいなかった。この点では、他の二行の行員も同じであった。総じて犯人像としてはあまりに弱く、本部は別の線を本命と見ていたのである。それでも彼の逮捕に至ったのは、浜田氏によれば、居木井為五郎なる警部補の憑かれたような凄まじい捜査にホダサレ、一旦は彼の顔を立ててやろうというところがあったようだ。

その流れが一気に反転するのは、日本堂事件が露見したからである。この被害者たちは一致して彼が犯人であることを証言した。当初、平沢はこれを否認するものの、ほどなく自白し、自らの罪を認めると共に、その後これについて争うことはなかった。ただし、これを機に本部の見方は激変する。今や彼は騙り者であり、虚言者となった。帝銀関係のこれまでの証言は否定され、以降、彼は真犯人として、時に拷問まがいの厳しい追及に晒されるのである(以下次回)。


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