2017年7月3日

7月3日・月曜日。早くも猛暑。日盛りを歩くと朦朧とセリ。

これほどの人体実験を平然と大規模かつ組織的に行うというのは、軍関係の組織以外には考えられない。ならばヒットラーかスターリンか。彼らの暴虐も人後に落ちないが、ここでは違う。わが誉れ高き皇軍の許に、軍医石井四郎少将(敗戦時・中将)が、昭和8(1933)年、ハルピンに創設した731部隊(正式名称・関東軍防疫給水部本部)による、中国人に対してなされた多くの生体実験の一部である。

当本部の規模と施設の充実ぶりは、想像をこえる。なにしろ、様々な資材や実験材料等の効率的な輸送を可能にする鉄道やら飛行場を持ち、大量の被験者(犠牲者)の収容所、多様な細菌培養、人体実験用の施術設備を擁し、これに研究者、家族、使用人の居住地が加わるのである。

ここでなされた人体実験の概要は、常石敬一『七三一部隊 生物兵器犯罪の真実』(講談社現代新書・2015)をご覧頂きたいが、その例を2,3挙げれば、炭疽、ボツリヌス、コレラ、赤痢、ふぐ毒、ガス壊疽他25種に及び、犠牲者は850人が挙げられている(133頁)。その他生体解剖も行われたれたようで、その酷さは目を覆う。こうした酸鼻の極みとも言うべき惨状は、森村誠一『悪魔の飽食』(角川文庫・上下、1983)にも詳しい。

常石氏は、こうした生体実験に実際に関わった医師の言葉を紹介している。「罪の意識はないんですよ。悪いとは思はないんですよ。だって天皇の命令で、その時信じてやったのだし、勝利のためなんだから悪くないんだと、細菌だっていいんだと私は思ったし、石井四郎に尊敬の念を持ったんですから」(100頁)。もちろん彼は、今なおこんな心情でいる分けではない。むしろ逆である。人々に対して彼がこうした告白を続けるのは、戦争の歴史を風化させず「日中の末永い友好を実現」するためである、と著者は言う。


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