2017年6月8,12日

6月8日・木曜日。梅雨入り。曇りのち晴れ。

6月12日・月曜日。梅雨の幕間か、晴れ。本日は、前回の文章の手入れとする。

ソルジェニーチン 『収容所群島 1918-1956 文学的考察』(木村 浩訳・全6冊 新潮文庫)1/1~2/17

網野善彦 『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波新書)2/21~23

村上重良 『国家神道』(岩波新書)2/24~28

島薗 進 『国家神道と日本人』(岩波新書)3/1~3/7

『古事記・日本書紀考』(西東書房)3/8~13

フロイス 『ヨーロッパ文化と日本文化』(岡田昭雄訳 岩波文庫)3/14~17

大野 晋 『日本語の起源』(岩波新書)3/18~24

沼 昭三 『家畜人ヤプー』(幻冬舎アウトロー文庫・全5冊)3/24~4/16

立花 隆 『日本共産党の研究』(講談社文庫・全3冊)4/17~5/6

スイフト 『ガリバー旅行記』(平井正穂訳 岩波文庫)5/7~10

ドストエフスキー『永遠の夫』(千草 堅訳 新潮文庫)5/11~14

フロイト 『自我論集』(竹田青嗣編 中山 元訳 ちくま文庫)5/15~28

高橋源一郎 『恋する原発』(河出文庫)5/28~29

同上    『非常時の言葉 震災の後で』(朝日文庫)5/30~31

以上25冊

これが五か月間の成果であるが、こうして改めてリストにしてみると、仕事を持つ身とは言え、その貧弱さは頭で思う以上に歴然としてくる。この程度の読書であれば、たとえば山田風太郎なら、一月の分量であろう。

彼は家業の医者となるため故郷の丹波からはるばる東京にやって来た。確か太平洋戦争直前のころと思う。だが、初年度は医大への入学は果たせず、浪人生活を余儀なくされた。すでに両親はなく、生活費は折り合いの悪い、やはり医者である叔父の仕送りに縋らなければならなかった。粗末な下宿住まいとカツカツの食事が病弱な彼を苛んだ。下痢と風邪は宿痾に近く、果ては肋膜から結核まで心配するありさま。私の記憶に間違えが無ければ、その為に徴兵検査で、即刻帰京させられるほどであった。生活費の不足は、当然アルバイトで補い、そんな鬱憤を、やっと手にした有り金で晴らすことになる。信じられないような暴飲暴食、煙草、映画鑑賞に蕩尽され、「オンナ」にまで回す余力はなかったようである。ソンナであるから、次年度の医大受験に自信のあろうはずも無かったが、新宿の東京医専に潜り込むことが出来たのは、誠に幸いであった。

これは戦中から戦後にかけた当時の苦学生の生活そのものであったかもしれない。彼の『戦中派虫ケラ日記』、『戦中派焼け跡日記』はそうした庶民の生活や時代状況を実に生き生きと活写し、渋谷、新宿の雑踏を伝えてくれる。この意味で、荷風のようなトップエリート達の日記とは一味、二味も違う貴重な歴史資料でもありうる。

しかし、彼は単なる虫ケラではなかった。彼には奇想天外な着想と豊かな文才があった。この頃、次第に人気を博する探偵小説に惹かれ、自分でも創作に打ち込み、雑誌に投稿し、新人賞を取るまでにいたる。こうして乱歩に見いだされ、彼の庇護と励ましを受けつつ、遂には東京医大を卒業したにも関わらず、医者を断念し、作家の道を選んだのである。彼のその後の人生を築く基礎は、こんな困窮の中で培った山のような読書ではなかったか。そうした読書遍歴の一端が、先の日記の折々で報告されるのであるが、漢書を含めた東西の文学書にくわえて学業である医学の専門書も、当然入っている。そこで、ある評者は風太郎を評して、当時、彼は書物を食べていた、それは驚くほど食い合わせの悪いものであったろう、と呆れたほどである。その事を彼の日記はまざまざと教えてくれる。

私は、そんな彼と比べようなどと思うほどバカではない。それにしても、上には上があるもので、何事にせよ、自惚れるようなことがあってはならぬ、さもなくば大恥をかくと肝に銘ずる次第である。同時に、俺はオレ、この己をそれとして受け入れ、自分のなしうる事を為すことで良しとしようと、改めてわが身に言い聞かせているところでもある(この項終わり。いずれ、上記のような選書になった次第を述べる時もあろう)。


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