2017年4月21,24日

4月21日・金曜日。薄曇り。蒸す。はや初夏の兆し。

4月24日・月曜日。快晴。風さわやか。鶴巻公園の大樹・欅、楠、ユリノキ、プラタナス、銀杏の新緑例えようも無し。本日は前回の文章の訂正・補充のみ。

この度初めて、主宰と親しくお話できる時間を頂いたことは、幸運であった。多くの来場者の方々もまた、同様の思いを持たれていたであろうから。そして、様々教えられた。その話の中で、特に私の印象に残ったことは、作者の生みだす作品と甲骨文字・金文との関係についてである。私の記憶にまちがえがなければ、それは以下のような趣旨であったと思う。だが我が記憶は最近キワメテ怪しく、日柄もたったことでもあるし、勢い私流の言い方と解釈になって、そんな事は、主宰は一言も言われていなかったかもしれない。だが、ここまで来たら引き返す分けにもいかない。勇を鼓して、私は言おう。作品は常にこれら古代文字との関係性が保たれていなければならない。それを踏まえてこその作品である、と。

自由な発想と天がける想像が古代文字に「生命を吹き込み、新しい造形美を構築」すると言っても、それが作者の単なる空想の産物になってしまえば、作者の墨線による絵画に過ぎず、美的ではありえても亀甲会の作品にはならない、ということではないか。自由とは、必ずしも全てからの解放を意味しない。ましてや、勝手気ままになることではない。存在の根拠、原点を保持し、それに拘束されているがゆえに、却ってより大きな自由、可能性がえられる。例えば、俳句の季語はそのような一例ではなかろうか。

こんな思いをもって参観すれば、今年も細やかではあるが「臨書」のコーナーがあった。会員達にとっては、これは自分たちの修業の産物であり、その意味で楽屋裏の話であるかもしれない。だが、ここは刺激的で、実に興味深いコーナーである。息を詰めて甲骨文・金文を写し取る者は、その作業を通じて古代文字の線と形、さらにはこれらの文字を刻印した古代人の祈り、願いを己が手と腕と体そして心に刻み込むはずである。これが、先に私が言った「象形文字との格闘」の意味である。その傑作を、私は二年前、初めて本会を訪ねた折、主宰の作品を通じて知った。何も分からぬことながら、心にズンと響いたあの不思議な感覚は今に残っている。このような営みは、パリの画学生が巨匠の作品の前にキャンパスをたて、オペラグラスを首にかけ、目の前を参観者たちが幾重にも重なり、引きも切らずに通り過ぎるのをものともせず、必死に模写していたルーブルでの様を想起させる。

「臨書」とは、辞書によれば、書道で、手本を見て字を書くこと。また、その書いた書、とある。「学ぶ」とは、まねび、であり、徹底した模倣によって自然に事柄を体得していくことであろう。そうした学びは、それほど楽しい作業ではない。己自身の自由気ままを拘束し、ひたすら対象に付き従うことを強いられるからである。しかし、このような自己鍛錬を通じてえた技量、精神力が自身の奥深くに潜む何ものかを引き出し、「作者の精神(内面率)の志向」を作品に表現させる糧となるのではないか。

だが、このような学びを通して自由な世界を開くという鍛錬は、書道に限った事ではない。人の営みのあらゆる領域、すなわち学問研究、スポーツ、芸能、いな全ての仕事における基盤である*。名人とは「格に入り格を出る」人だと、将棋の棋士から教えられたことがある。先人たちによって積み上げられた定跡や棋理を徹底して学び取り、ついにはそれを超えて全く新たな地平を拓く棋士を言うのだと思う。ならば、人生の一時期、私はその様な基礎鍛錬の場に身を置き、これを耐え抜かねばならなかった、されば今少しマシになりえたであろうにと、この歳になって改めて思うが、イヤ、時すでに遅し。

*これについては、「天声人語」や志賀直哉の作品を写し取ることで文章が鍛えられる、と高校生のころ国語の教師からよく聞かされた話を思い出す。また、いつだったか、直木賞作家の桜木紫乃氏がテレビの対談で、高樹のぶ子『透光の樹』を四百字原稿用紙に書き写しピッタリ三百枚に収まった、との経験談を感動の面持ちで語っていたのも印象に残っている。この場合は、文章の鍛錬よりも、小説の結構、作中人物の息遣い、とりわけ癌で逝ってしまった恋人を追慕しながら、次第に痴呆化する母親の情念にたじろぐ娘の気持ちなどに、直に触れたいとの願いからではなかったかと思う。そうした場面への肉迫はただ読むだけでは不十分なのであろう。その状景を正確に表わすための文章のリズム、選ばれた言葉は漢字なのか平仮名なのか、句読点、段落等学びえた事は幾らでもあったはずである。他には、職人芸の伝承もこの「まねび」を介してしかありえない。最後に、我々のような分野では、巨匠の翻訳をするのが最良であろう。だがそれは、言うは易く、行うは難しで、部分訳は幾つか作ってはみたものの、一冊丸々となれば、遂に私はなしえなかった(この項終わり)。(5月2日に付記)。


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