2017年3月14日

3月14日・火曜日。雨、時々曇り。忙中閑の中、ようやく早稲田に出向く。

いずれにせよ、国家統治とは本来的に、酷薄にして峻烈なものである。それは洋の東西、時代を問わず、免れえない事実である。であれば、当時のソヴィエト政権の群島政策それ自体が異常であったわけではなかろう。人権思想の希薄な時代であってみれば、なおのことである。

それにも拘らず、そこには断じて看過されてはならない理不尽、残忍性、凶暴性があり、それらは今もって厳しく指弾されなければならない。ソルジェニーツィンの怒りもそこにあるように思う。まずは、当局による犯罪者の恣意的な特定とデタラメな刑期の決定である。その背後には、政敵に対するスターリンの執拗な復讐心や権力誇示があり、それに基づく当局のいい加減な法解釈と運用がある。次いで刑期についても、重大な刑事犯ですら4,5年で釈放されるのに対し、政治犯の場合には10年20年は普通であり、ようやく満期に達した政治犯の突然の刑期延長も珍しくなかった。しかも収容所内での処遇も歴然とした違いがあった。

ソヴィエト連邦は、いわゆる「スターリン憲法」(1936)の制定によって世界で最も民主的な憲法を持ちえたが、それによる政治がなされたことは、絶えてなかった。その状況は第二次大戦後からフルシチョフ時代を超えてなお変わらず、これを告発しつ続けるソルジェニーツィンは、1974年、遂に国外追放へと追い込まれた。だが、何故コンナ馬鹿馬鹿しい事態が生き続けたのか。彼によれば、スターリン時代以来の、教育の独占とプロパガンダの徹底、そしてその成功である。だから市民の誰もが、政治犯となった者たちにはきっとその理由があり、当然なのだ、と考えた。というのは、政府は間違いを犯さないからだ。では、理由も分からずに、突然拘束された彼本人の場合はどうか。その時、彼はこう思う。自分だけが何かの手違いでこうなったに過ぎない。だから、事情が分かれば直ちに釈放されるハズだ、と。

これは世論の不在のためである。これが著者の結論である。とすれば、政府を堂々と批判する自立した報道機関、自由な教育制度、自主的な思考と判断、そして政治結社の自由と行動、多党制の是認が要請される。ここまでたどれば、事はただソヴィエト連邦の問題に尽きる訳ではない、と知るであろう。世界情勢は限りなく、各国家が自らの権力強化に走り、国内の自由な思考、論議を抑制する方向に向かっているように見える昨今である。ソルジェニーツィンの告発は我々の問題でもあるのである。

まだ、言うべきことは尽きないが、ここでは次の一点のみを付して、この項を終えたい。社会主義を標榜する国家は、近代にあっても多々あった。そのいずれも、近代資本主義の生み出した格差、搾取等の問題に対峙し、人間性の回復と平等を理想とする国家建設を目指したが、結局、これとはまるで異なる無残な独裁に傾斜したのは何故か。カール・ポッパーはかつてこれを「全体論」(Holism)と呼んで厳しく批判した。社会・国家制度を一纏めにして、全体論的に一挙に解決出来るとする考え方は間違いである。そのためには、反対勢力を弾圧しうる巨大な権力装置と有無を言わせぬ執行力が求められようからである。そうではなく、社会に生ずる諸問題、除去すべき悪や矛盾を一つずつ漸次的に解決し、そのようにしてより良き社会の建設を目指すという考え方を提示した。そのプログラムを彼は、確か『歴史主義の貧困』(1936)で提起するが、私はこれを支持する。


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