2016年11年14日

11月14日・月曜日。曇り。本日、鳥取市から帰来し、早稲田に。

2の伝統的支配とは、古来から引き続き存在するもの、事柄を大事にしたいとの思い、そうした尊崇の心、信念、心情に基づいて成立する支配関係である。例えば支配者の家系が古えに繋がり、それは先祖代々のことであり、それゆえ彼の命令は尊く、それには服するべきである、と被治者がみなし、これを受容するような関係がそうである。こう見れば、2は、ただ歴史や伝統が大事な歴史オタクや復古主義者のことかと誤解されかねないが、実はそうではない。ここでの問題は、被治者が統治者の支配・命令をいかなる意味で是認し、それを正当化しているかという支配の構造だからである。

上では、昔から「在る」もの、事への被治者の尊崇の思いと言った。それは「伝統主義的」、と呼ばれる人々の行動様式であり、伝統的支配はこの行動様式を基礎に成り立つ。そしてそれは、単に政治の領域に留まらず、気づけば、現代の我々がとる行動様式そのものでもありうる。例えば、こうだ。最早、その由来、縁起は不明となってしまったが、しかしただそれが「在る」というだけで尊重される儀式、それまでの規則や慣習がその意味を問われる事なく惰性として適用されたり、前例踏襲主義的な組織運営や対応などである。

こうした心術(心組み、心の持ち方、と言ったほどの意味)は組織、機構、体制の安定化に役立つばかりか、重要な要素であろうが、これに無反省に寄りかかれば、大勢順応主義に陥り、福沢が「封建は親の仇にござる」と呪詛したように、既得権益の擁護に堕するであろう。なお、カリスマ的支配から伝統的支配への移行、転移の問題も挙げれば興味深いが、ただでさえ混乱してきたわが叙述が、益々怪しげになるので、割愛しよう(旅の疲れか、頭がボーっとしている。と、尤もらしい理由をつけて、今日はこれまで)。


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