2016年10月17日

10月17日・月曜日。雨のち曇り。鶴巻公園の高木数種わずかに色づく。

ツヴァイクに「怖いといえばこわい小説」がある、と始めたこの話の怖さは、前回末尾で少々触れた。だが、ここに潜む怖さはそれで尽くされてはいない。その第一は、先にも言ったが、ただ怒りに駆られた人々が、群衆となって自分を目がけて突進してくるさまである。これは、是非善悪を超えて、この世の終わりを感じさせるような恐怖であるに違いない。こうした暴動は、先ずは対象者に対する憎しみに発するが、しかし暴徒の心はそれに留まらない。彼がこれまでの人生で味わった、大小無数の理不尽な辛さ、悲しみの発露でもあろう。そうしたものの恨みツラミをすべてぶちまける場でもある。であれば、ここでの暴虐は限度を超え、その犠牲者はそうした恨みの一切をその身に負わせられるのではないか。

統治者は、昔からそうした暴動の凶暴さ、怖さをよく知っていた。たとえば歴代のローマ皇帝は徹底した奴隷の管理に加えて、市民たちにはローマ市内の食糧保全と娯楽施設の完備に心を砕いたという。それがあの壮大な競技場の建設や大浴場の整備になったのである。ヨーロッパへの梅毒の伝播は、コロンブスの船員が西インド諸島からスピロヘーターを齎したことによるとの話だが、実は大浴場近辺の遺跡から、梅毒患者と思しき人骨が多数発掘されているようである(立川昭二『病気の社会史――文明に探る病因』NHKブックス)。とすればかの船員はエライ不名誉を負わされたわけだが、これが事実であれば、大浴場の実態がいかなるものか分かろう。それだから、この大浴場はやがて廃止されることにもなったのだが、これによっても、為政者たちがいかに市民の不満の鬱屈を防ぎ、彼らの気晴らしに奉仕したかは明らかだ。映画『ベン・ハー』に見る迫力ある戦車競走、奴隷同士の死闘、キリスト教徒の火刑やライオンの餌食の見世物は、そうした娯楽の犠牲であった。人間とはげに恐ろしき生き物ではないか(シェンキヴィッチ『クヲヴァディス』参照)。

被治者に対する統治者の恐怖感は戦争や占領の際に特に強まる。国民への監視や、占領民への弾圧は恐怖の裏返しであろう。住民の被差別者への徹底した差別と抑圧もそうである(塩見鮮一郎『被差別文学傑作集』・河出書房文庫)。普段、抑圧しているという負い目が恐怖感となって、事が起こった時には彼らの復讐を恐れて、その前に虐殺に走る。関東大震災の朝鮮人や戦前の占領地域の場合はその一例に過ぎない。そうなれば、潮目の変わった時点の逆襲はタダでは済まない。アメリカ兵の日本上陸の恐怖は並ではなかった。日本男子は全て去勢され、女子は娼婦とされる。この恐怖から彼女たちは自死へと追い込まれたのであった。それは日本人の戦中に仕出かしたことの裏返しである。

北朝鮮の政府が言われているとおりの状況であれば、それは統治力の不安、恐怖感の結果であろう。だが、国民を徹底して抑圧する政治からは、決して未来が開かれることはない。

私はまたもや、枝道に紛れ込んだ。ツヴァイクの話の私にとっての恐怖は別にある。それを言いたかったのだ。秩序や正義というものも、大混乱の無法状況においては、国家やそれに代わる権力機構を以てしても維持できない、という事である。その場合は、詰まるところ、身を守るのは自分の腕力であり、暴力装置でしかないという、身も蓋もない話になる。これは、既にホッブスが『リヴァイアサン』で言っていたことに尽きる。自然状態にあって、人は全ての事をなす権能がある。略奪であれ、人殺しであれ、自らの生命を維持するためには、それらは許される。そこでは、「弱肉強食」の掟が支配する。それでは人は生きてはいけず、これを避けるために、人々はより集い、国家に類する装置を作ろうとするのである。しかし時にはそれすら、無効であることがあり得るのである。ツヴァイクはその事を提示した。そして、現代社会はそれほどアカラサマデ、これほど過酷な姿ではないけれど、弱者と強者に区画され、後者が前者を利用し、食い尽くす獰猛な様相を世界レベルで見せ始めてきたように見える。その時、強者は弱者を虐げ、それ故に弱者を恐れ、弱者はまた強者に踏みにじられつつ、復讐の牙を研ぎ、こうして「先のものが後になり、後のものが先になる」という聖句が、聖書とは逆の意味で成就するかもしれない。その社会はもはや人の世ではなく、悪鬼と悪鬼の凄絶な闘争の場と帰し、なにか得体のしれないものとなろう。現下の、中近東の闘争、アフリカの混乱、日本近海の紛争がその序曲で無ければ幸いだ(この話これまでとする)。


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