2016年9月28日

9月28日・水曜日。曇りのち小雨。この所、秋晴れは絶えて無し。

稀代の伝記作家S・ツヴァイク(1881-1942)に、恐いといえばこわい小説がある。「エルドラード(黄金郷)の発見 J ・A・ズーター、カリフォルニア 1848年1月」(片山敏彦訳『人類の星の時間』みすず書房、2014年所収)がそれである。

すでにご承知の向きにも、こちらの話の都合もあり、少々お付き合いをいただきたい。ヨーロッパのあちこちで不義理、つまり法を犯したバーゼルの人ズーターは、一刻も早く大洋の向こうに渡って此の地の法廷と縁切りをせねばならなくなった。妻と3人の子を持つ彼ではあったが、背に腹はかえられない。彼らを置き去りに、偽造パスポートを手にニューヨークに潜り込む。1834年7月7日のことである。それからの2年間、怪しげな薬売り、偽医者までも含めて手当たり次第の職を転々としながら、やがて宿屋の主人になるが、これを捨てついにミズリーの開墾者となった。そこそこのカネを得、生活も安定した。しかし根が無頼の彼がそれで収まるはずもない。目の前を西へ西へと流れゆく人馬の群れに惹かれ、1837年、一切を金に換え自分もその一人となった。「乳と蜜の流れる国」カリフォルニアへのひたすらな思いが、同道者たち皆が落伍するほどの、まさにモーセの荒野の旅にも比せられる刻苦と悲惨の旅路を制したのである。ついに、聖フランシスコに因んで名づけられた、当時はまだメキシコ領のサンフランシスコに到着する。一瞥して、当地のサクラメントが肥沃にして広大な農地に適するばかりか、小王国(新スイス)の建国も夢でないことを見て取り、早速、その統治者から地域の10年間の使用許可の権利を取得した。

1839年、ズーターは新王国の建国を胸に、総勢200人足らずの一隊と食料・武器・馬・水牛等を率いて、当地に入植する。その後の農業国としての発展は目覚ましく、またほどなく当地は合衆国の手に帰したことで、土地の領有問題が解消された。さらに、14年前に見捨てた家族を呼び寄せることも出来た。かくてズーター王国の未来は約束されたも同然であった(以下次回)。


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