2016年9月9日

9月9日・金曜日。台風の余波か、蒸し暑し。秋晴れの清涼、未だし。

基地離脱の決定に、誰よりも驚愕したのは、犬係を担当していた2人の隊員である。彼らは地質学、地球物理学の専門家であったが、それとは別に樺太犬の世話もやいていたのである。極寒の地での、装備やら何やら全てがママならぬ状況の中、1年間も供に暮らせば15頭の個性も十分に分かってくる。互いの愛情、信頼もとりわけ深まったにちがいない。少しでも首輪が緩めば勝手に逃散してしまう犬も知っている(事実、そうまでしても7,8頭の犬が離脱に成功している)。一歩間違えれば、死に直結する環境だ。そうした配慮が、首輪の点検、締め直しになったのだが、今度こそそれが裏目に出た。シッカリ絞め直された鎖に繋がれ、覆いのない雪原に、十分な餌もなく放置されれば犬たちの苦しみは如何にも酷い。その光景がアリアリ浮かぶだけに、彼らの苦悩、悔恨は深まった。犬たちを見殺しにするのか、という救いようのない恐怖が襲う。せめて、自分一人だけでも残してくれ、駄目なら薬殺しに行くので許して欲しい、と詰め寄る隊員の気持ちはよく分かる。

彼、地質学者を演ずるは、主役・高倉 健であり、相方の地球物理学者が渡瀬恒彦、その恋人役に夏目雅子が配され、筋には無縁なことだが、三人の抑制的な演技が光った。好演である。しかし、主役中の主役は何と言っても15頭の樺太犬である。

当時の東映社長・岡田 茂氏はこの映画の配給を打診され、「犬がウロウロするだけで客が来たら、ワシらが苦労して映画撮る必要ないやろ!!」とニベもなかったそうだが、確かにそう言いたくなるほど、犬たちは走りに走った。そして、美しかった。人間たちに散々働かされたあげく打ち捨てられた犬たちは、かつて彼らと雪原を大旅行した思い出に駆られたか、その跡をたどれば彼らに会えると思ったか、往復500キロの雪中行を敢行した。その間、飢えと寒さや疲労から傷つき斃れる犬も出てきた。その最後は、実に見事である。己の命の尽きたことを悟るかの如く、雪や風の避けられる庇の下に横たわり、静かに目を瞑るのである。悟りがドウのこうの、と言っている人間どもに比べて、如何にも従容とした死に様ではないか。

映画は勿論、犬を見捨てた人間たちの苦悩も掘り下げている。帰国した恋人が南極、殊に置き去りにした犬の話にマッタク触れようとしないことから、それだけ思いの深まっていることを察した彼女は、第3次越冬隊の話をもってくる。「とにかくもう一度、南極に行って犬の事を見てきたらイイ。その後、ワテと一緒になるか、ホカすかするなり決めたらいいわ。ワテはそれまで待っているサカイ」。こんな一言に励まされない男はイナイ。他方、地質学者は大学を辞め、飼い主達への報告と謝罪の行脚に出る。そして、あの時、薬殺しないで良かったのかもしれない。樺太犬の生命力は強く、生き延びている犬もいるかもしれないから。こう、飼い主に述懐するのである。

こうして、彼ら二人は3次の越冬隊に参加することになった(実際は渡瀬演ずる物理学者だけであったようだが)。彼らは昭和基地にたどり着く。タロとジロがそこにいた。互いが互いを認め合ったとき、抱き合うように雪原を転げまわった。ただ2頭の無事が嬉しかった。二人はたしかに救われた。しかし、である。これが人間の場合であったら、どうであろうか。こんな風に、一瞬にして喜び合えることが出来たであろうか。そこには、別のドラマが演ぜられたに違いない。これについては、次回。


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