2016年6月23日

6月23日・木曜日。雨のち晴れ。

本日は、前回の文章後段の手直し(?)に大奮闘したため、大分予定がクルッテしまった。あまり知らない事を書くものではない。が、それはいつもの事だ。

さて、続き。これは、アッサリと行きたい。「エディプス・コンプレクス」は男児の成長過程において(女子の場合はエレクトラ・コンプレクスといわれる)、身近にある異性、すなわち母親への性的愛情のゆえに彼女を手に入れようと願うが(イド)、しかしそこにはすでに父親がいる。彼は単なるライバルどころか、最強の権威者である。だから、男児は己が欲求の妨害者である父を憎み、彼を亡き者にしたいとすらおもう。しかし他方で彼は、理想の体現者である父を畏敬する。一歩でも、父に近づきたいとの思いもある(超自我)。しかも、父と母を争う事はペニスの切除・去勢の恐怖に耐えねばならない。こうした葛藤を通して、男児は自己の欲求を断念・抑圧し、性欲の対象を他に求め、長ずるに従い父親を受け容れるというわけである。

ただし、これ等一切のプロセスは、男児のあずかり知らぬ無意識の世界で進行しているドラマである。だがこの過程がつつがなく処理されなければ、彼のリビドーは変性し、長じて神経症等の精神疾患に見舞われかねない。勿論、全てを性欲に解消して人間行動を説明するフロイトの汎性欲論は、彼以降常に批判されてきたが、今はそれは問わない。

心理学でいうコンプレクス(Komplex・m)とは、「行動を特徴付ける、強い感情の付着した無意識な観念や思考の複合体」(Duden独独辞典より)とある様に、ヒトをある行動に駆り立てる、様々な情念、思いが絡み合った想念といったところか。そして、「エディプス」とは、すでに、ギリシャ神話にみられ、ソフォクレスが『悲劇』として作品化したことは周知のところだが、彼は知らずに父を殺し、母を妻とし、子をもうけたテーバイの王である。ここに、フロイトがエディプス王の名を冠して幼児期の男児の性と人格形成の関係を理論化した意味も分かろうというものだ。だが、両者の親近性はここまでの話であって、「エディプス・コンプレクス」をもって『オディプス王』の悲劇を分かったと言われては、ソフォクレスならずともこれはマイル(以下、次回)。


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