2016年4月15日

4月15日・金曜日、晴天、風強し。

本書は、女性ジャーナリスト、ベリート・ヘデビューが大胆にも敢行した友人ための「自殺幇助」事件の叙述をもって、幕は開く。1978年9月のことである。これ以前、彼女はすでに、末期癌によって死に至るまで責苛まれた母親の「不必要な苦痛」を目の当たりにしていた。この時、ヘデビューにとって、死はようやく訪れる苦痛の「解放者」であった。だから、彼女は書いた。人は誰もが「自分の死を自分で決める権利」を持つべきであり、「それは人間の自由と権利の問題である」として、そのような「死への幇助を欲する旨の宣言書」を書くことができなければならぬ。

数年後、彼女は再び同じ状況に立ち会わされる。同僚(44歳)が多発性硬化症(脳・脊髄・神経系の病気。難病指定)に冒されたのである。彼は彼女に自殺幇助を強く懇請し、彼女はこれを請けいれ、手ずから致死量の薬剤を注入し、死に至らしめた。自殺幇助はスエーデンでは犯罪ではないようだが、それでも彼女は最高裁の判決により、結局、一年の禁固刑に服すことになる。薬剤注入が殺人罪を構成するからであった。

これらについて、彼女には罪の意識は勿論、悔恨もない。むしろ、これを機に巻き起こった自殺幇助、安楽死の論争に積極的に参戦し、ジャーナリストとしての戦いを展開していく。かたわら、死への権利の確立を目指す行動グループを結成し、この運動を通して世論の喚起と社会のより深い思索、医療のあり方に甚大な影響を及ぼす事になるのである(なお、彼女は1981年5月に来日し、わが国の「安楽死」問題に一石を投じたようである)。


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