2016年3月25日

3月25日・金曜日。晴れ。わが寓居際の公園も開花す。東京に遅れること4日。

この次第を理解するには、書展に足を運び、書を直接に鑑賞するに如くはない。こんな駄文によっては到底解き明かし得ないからである。だが、挑戦してみよう。会の扱う文字が甲骨文、金文であることは前記の通りである。この文字は図像に近く、現代から見れば、象形文字に転生する直前に切り取られた文字のようにみえる。例えば「明」は、私は誤解していたのだが、日(太陽)と月の合成なんぞではなく、窓から月を見ている図像であり、だからその明かりは月明かりのようである。そして、この文字はもともと、月が左に書かれ、窓である日が右に置かれていたものが、いつしか位置関係が変わって現在の文字になったらしい。

会員はこれ等の経過、その転生の次第を白川 静などの研究書を通じて学び取り、文字の真の意味を理解し、同時にそこに潜む古代人の心に一歩でも近づこうとされるのでもあろう。上記のように解された「明」は、天空に浮かんだ月(三日月か)を右下に描かれた家の窓から眺めた図として浮き上がるが、それは我々にとっても何ら違和感はあるまい。この月に何を見、何を祈るか、となれば、『竹取り物語』を上げるまでも無く様々な物語が湧出してこよう。

夫々の作品では鳳凰が舞い、龍が踊り、虎が吼える。あるいは虹は、二匹の龍が左右に分かれ、その尾を天空で絡ませながら湖水の水を飲み干そうという壮大な絵巻である。この作品には、『出虹有り』との題が付された。本作の元になった甲骨文「有出虹」の卜辞には、「・・・東方より黒雲が現れまた北方より虹が現れた。今後祟り」ありとの託宣であった由である。だが、この虹はノアの大洪水後、今後は二度とこのような洪水により人を滅ぼす事はない、と神が人と交わした契約の印とした虹となんと異なるものであろう。

もとより各作品の書、あるいは文は、先に亀甲文字の再現でないと言ったように、それをベースにある場合には文字が大胆にデフォルムされ、強調されて、書と言うよりも図像化され、絵画的になる。擦れた墨線がダイナミズムを帯び、飛び散った墨痕がキラメキ、余白に色彩が漲るのもそのためであろう。余談ながら、私はこの度初めて、余白の豊かさに触れたような気がする。

以上は年に一度、ほんの束の間、ソンナ素養も無い一素人が書展を覗いただけの印象記に過ぎない。よって、見当はずれの変な誤解を振りまき、当会にとって迷惑になっては相済まないが、ともあれ私なりに楽しんだ事だけは、ここに述べておきたい。そして、私がそんな楽しみと充実を味わえたのは、会の重鎮、吉原一清氏が一時間以上に渡り、各作品の懇切な解説をしてくださったお陰である。私以上のご年配であるに関わらず、会館の一階から三階まで実に軽やかに身を運ばれ、終始温和で滋味ある話をされた。それは、主宰・光峰氏への深い敬慕と会での創作を無上の喜びとする方から溢れ出た、そのような話であった。私はここに、退職後、天から与えられた人生の余白の輝きと充実を見る思いがした。


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