2016年2月23日

2月23日・火曜日、雨のちうす曇り。風ゆるみ、木の芽膨らむ。

これは友人の安蔵伸治氏(明治大学教授・人口学者)から聞いた話だが、Y市の調査であったか、再就職の必要の無い定年退職者のうちには、公園のベンチで陽のあるうちから缶ビールを空け、日ならずしてアル中になる人が多いとのことであった。だから、わが退職後は、ソンナ研究をしてみたら面白いかもしれない、と進められたのだが、そのような研究上の手法や経験の無い私には、土台無理な話で、それなり打ち捨てにしてしまった。だから、それがどの程度の数値なのか不明だが、これは前便の中邨氏の話とも平仄が合っているようである。

それにしても、安蔵氏の提案は興味深い。首都圏の退職者たちの一日の生活を、一年ほどかけて調査できれば、それこそ「天国と地獄」の様相がクッキリと見て取ることが出来るかもしれない。同時に、その対策が用意できれば、社会改革としても「一石二鳥」どころではない三鳥、四鳥にもなりそうな効用があるように思う。生き甲斐は若さを維持し、それだけでも介護医療を軽減し、彼らのもつ技術や経験知が若者を教育し・・・等々。

こんなことは誰でも思いつく事で、ここでわざわざ言うほどのものでもない。ただ、言ってみたいことは、老人問題がこれほど急速かつ深刻な問題として浮上してきたのは、恐らく第二次世界大戦以降のことで、ここには栄養と医療、環境改善などによって長寿社会が実現されたためである。それゆえ、これ自体は誠にお目出度い話であるはずが、今やなにか在るべからざる事態、現象として、国も社会も右往左往している様に、私も一人の老人として不満を感ずるからである。

大量現象としての長寿は前世紀後半頃、人類が始めて出会った事象であろう。『楢山節考』を深沢七郎が書いたのは昭和31年のことであるが、彼は山間に伝わる民間伝承から素材を獲たというから、貧困にまつわる棄老は昔からあった。しかしそれは、現在の老人問題とは根本的に違う。枯渇した食料事情の中で止む無く、口減らしとして遺棄される老人と、行き届いた環境の中で長寿を迎えた老人との差である。後者は紛れもなく現代の問題である。私の知る文学作品では、丹羽文雄『嫌がらせの年齢』(1948)、有吉佐和子『恍惚の人』(1972)、谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』(1962)が思いつくが、谷崎が息子の嫁に懸想する色呆けた老人の痴態を造形したのに対して、前二書は老人介護問題をまともに扱った。そして、丹羽のそれは現代を予告する凄まじさである。

「人生五十年」と言われたのは、いつ頃のことであったか。70年代には、既に「古希」の七十歳は稀ではなくなってしまった。統計によれば、わが国の百歳以上の人口は現在7万人に達し、1万を越えたのは1998年のことだと言う。たった18年間で7倍の増加である。大変な数、異常なスピードだ。ここには莫大な額の医療負担、介護問題があるに違いなく、その事があまりに大きく社会・政治経済の問題になりすぎて、その背後にいるさらに大きな数の健全で、活動力に富んだ、だからソノママ昔通りの老人と言ってはならない成人男女?の軍団の存在が閑却されているのではないか。要するに、わが社会は、老人の負の問題ばかりに囚われて、その背後にあるトテツモナイ巨大な可能性に対して全く目が届いていないのではないか。まだ社会、いな世界は、膨大な人々の50歳代以後の人生の豊かさを吸収し、生かしきるそんな社会にはなっていない。そのための仕組み、制度、法律その他関連する施策・施設造りは今後のことであろう。だが、それらが可能になる為には、社会プランやそれを支える思想、理念の構築が、今まさに求められているのではないか。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です