2015年12月24日

12月24日・木曜日・曇りのち晴れ。穏やかなクリスマス・イヴになろうか。しかし来年はいかに・・・?

ここで感染症の発症過程をつぶさに論ずる事はできない。と言うよりも、私にはそんな力はない。科学論の理解に必要な限りで記すほかはないが、コレラの場合、まず知るべきはコレラ菌の生態についてである。棒状・円筒形であり、医師グラムによって考案された染色液に浸せば淡赤色を呈し、これをグラム陰性桿菌という。患者の腸内に棲息、増殖し、腸粘膜上皮を破壊し、激しい嘔吐や「米のとぎ汁状」の下痢を発症する。こうした脱水症状から頭蓋が浮き出る「コレラ顔貌」をきたす。せん妄、昏睡に襲われ、ショック死にいたることもある。致死率は6割ほどと言う。コレラ菌は患者の排泄汚物、その飛沫、それに汚染された衣類等への接触によって感染するが、その事が患者の世話を一手に引き受ける女たちに被害を拡大し、死亡率を高める原因となった。だが、その最大の感染経路は井戸、河川などの飲料水への汚染である。コレラはもとインドの風土病と言われるが、環境整備の整わない時代、地域を襲い、やがてはヨーロッパにも上陸し、諸都市を席捲したのである。洋の東西を問わず、その感染力の強さと、「三日コロリ」と言われる程の症状の激烈さで特に恐れられた感染症であった。治療は輸液、抗生物質の投与によるが、最大の対策は上下水道他の環境整備に如くはない。

まだ大事な点が抜け落ちているような気もするが、それはシロウトの手慰みとしてお許し頂き、先に進もう。さもなければ、年が越せない。さてそこで、感染症を考えるに際し、先ずは主要原因となる病原菌を特定し、その特性を捉えなければならない。それは言うまでも無く、医学、特に細菌学者の任務である。同時に感染症はその細菌の人体への進入である。そこでの問題は人体、分けてもその免疫体系の理解であろう。19世紀末、確かロシアの微生物学者メチニコフは体内に侵入した微生物を捕らえる細胞を発見し、これを食細胞と名づけノーベル賞の受賞者となったが、彼はこの分野の草分けではなかったか。それらを含め、細菌と人体との関係、相互作用等についての生理学的な諸研究が重要であるが、これ等は全て医学の分野での理論的、法則的な知的体系として構築される事になろう。

ここで私が何を言おうとしているか、聡明な読者ならすでにお察しの事であろうが、この人体が問題になり、しかもそれが治療行為として浮上するとき、そこでは上で確立された知的体系は、知るべき最も重要な要素であり、必要条件ではあるにせよ、未だ十分条件を満たしていない事に気づかされるはずである。そこでは患者の体質、栄養、生活環境、文化等ありとあらゆる彼の個性を作り上げる全てが関わり治療に影響するに違いないからだ。その事を我々は既に栄養問題の場で確認しているはずである。

私があの折驚いたのは、トマト(そしてこの食材は一般的に健康食であり、他のソンナ食材の象徴とみなされているのであろう)が人の体質によっては、脂質の多い食になると言う発見であると同時に、だから病院食は出来るだけ個の体質を考慮した体制をとる必要が指摘されていたことであった。すでにアレルギー問題がこれだけ喧伝されていることから、トマトが全ての人たちに良い訳ではない、と言われれば成るほどと得心もするが、そうであれば万能の食は有りえないという今更の教えであった。それ以上の驚きは、こうした認識は21世紀の今ようやく得られたものであり、それが病院はじめ他の領域にも応用されるという展望である。これまで入退院を繰り返してきた私には、病院食がかなり一律的であり、これで良いのかという懸念が、やはり当たっていたとの感を強めたが、それ以上に医療の現場がその程度の事であるらしい点は、やはり衝撃である。一般的、普遍的とみなされる知的体系への信頼、否、その妄信は覆いがたいと言うべきなのであろうか。

そろそろ、終えよう。全ての分野の一般的・法則的知識は当該分野の認識にとって先ず第一に知るべき絶対知であり、それを欠けば個別事象の認識は不可能である。それは、認識のためのフレームワーク、クーンならば「パラダイム」とも呼びたいところであろう。そうであれば、それはこれさえ知れば、個別事象はそこから自動的に演繹され、すべてそれによって説明解消されうるというのは、幻想以外の何ものでもない。現在の経済予測が当った験しが無いのは、個別事象の個性の認識に疎漏があるからだ。それ以上に、これらを網羅的に調べ上げ、その関係を知悉することなど、土台無理な話なのだ。これが私の見立てであるが、こうした見方は19世紀末に確立されたドイツ新カント学派に負っている事を付しておこう。ヴェーバーは言っている。引力の法則が地上において正確であるのは、これを生ずる天体の力が圧倒的であるからだと。つまり、地上の人間共の草草の活動ナンゾは、この圧倒的な力学関係に比すれば物の数ではなく、いささかの影響力も無いという事なのであろう。

以上を以って、本年の仕事納めとします。皆様―と言って、何人の皆様か知らないが―良いお年を!


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