2015年12月22日

12月22日・火曜日・晴れ。本日冬至ナリ。10日前の12日(土曜日)、我が母、喜代永眠(103歳)。よって、前週は休載とす。いずれ折をみて介護、葬儀等につき触れてみたい。

具体的にそれがドンナ意味を持つかについて、例を挙げて述べてみよう。ペッテンコーファーなる、フィルヒョウと同時代の医学者の話である。彼はミュンヒェン大学医学部教授にして、恐らく西欧(といっても近代医学発祥の地は西欧であるから、世界と言っても同じだが)で初めて衛生学講座を開き、講義をした人物である。文学好きなら、鴎外が彼に師事した事跡は周知の事であろう。その彼に、たとえば、こんな話がある。人が寒さを避けるために衣類を纏うのは、空気の層を着るに等しい。肌着が体温の放熱を防ぎ、さらに重ね着して空気の断層を創り、保温効果を高めると共に、外気の進入を防止するという訳である。

モットもこんなことを知らなくとも、これまでだって人類は衣服によって寒さを凌いで来たのだから、だからドーシタ、と言えばいえるが、しかしそうした理屈、もっともらしく言えば理論、をつくってシッカリとした説明がなされれば、その対策はより効率的になり、あるいは多方面にも適用されるようになるに違いない。単なる経験知と科学知の違いはここにある。経験知には、常に具体個別の事象が絡みつき、だからその妥当性、応用の範囲がそこにのみ限られる向きがあるからである。たとえば、昔の地震と津波の体験を知る古老の話しはとても貴重だが、しかしそれが固着するとこうなる。「あの時の揺れ方は今とは全然違う。これではアンナ津波はこない。大丈夫だ」。吉村昭の『三陸沖大津波』にそんな話があったような気がするが。

ただし他方で、理論は一般に、私の思うに、眼前に生じた事象の不思議に触発され、その仕組みを解き明かそうとする努力の成果、賜物であり、その意味で理論は事象の後追いにすぎない。むしろ経験なき理論は在りえない。あるとすれば、空想の産物であり、単なる絵空事である。

なお、ペッテンコーファーの先の説明は現在でも揺ぎ無いものであると聞くが、私が彼のこんな事例を持ち出したのは、彼はやがて「無能なる者、生きるに値せず」と言って、ピストル自殺を遂げた人だからである。だが、彼は無能どころでは無い、有能かつ果敢な医学者であった。コレラを始め結核、チフス等の伝染病は、当時のミュンヒェンにおいてもベルリンに劣らず猩獗をきわめた。その発症、感染について、当時の医学界は割れていた。一方は、患者との何らかの関わりを根拠とする接触感染説(直接的な接触、飛沫・空気感染を含む)対非接触感染説(環境汚染、土壌汚染、水質問題)の対立である。前者はうすうす、その原因が細菌微生物であることに気づいており、だから交通制限、市街封鎖(カミユ『ペスト』を思え)を主張し、統制主義的な対策を立てた。対する後者は、細菌が病気の原因である事に頑として反対した。時代は、細菌学の確立前夜であることに注意されたい。事実、かかる統制的対策によっても、何ら伝染病の防圧には至らなかった事も、彼らの主張に分があった。ペッテンコーファーは、交通・経済の自由は伝染病以上に重要であるとまで言いきったのである。

この点、彼はフィルヒョウと同様、自由主義者であった。かくて彼らはミュンヒェンやベルリンにおいて都市環境の整備に尽力することになるのである(尤も彼ら両人は同志的な関係にあった訳ではない。強烈な個性を持つ二人は激しいライバル心さえ燃やしていたようだ)。ここには、まだ説明すべき論点が多いが、それを端折って結論を言えば、彼らは病気の原因を殆んど分かっていなかった。だから、その発症の機序も誤解していた。にも拘らず、と言うべきか、だからこそ、と言うべきか、彼ら両人や関係者の努力によって、両都市の環境整備が大きく進展したのは、まさに歴史の皮肉であったろう(この点に興味のある方は拙著『汚水処理の社会史』・日本評論社刊をご一読あれ。と言って、私には一銭の印税も入らない事を申し上げておく)。

大分、前置きが長くなった。私の話はイッツモそうだ。これまでお付き合い頂いた方には先刻承知のことであろうから、今更遠慮はしない。さて、件のペッテンコーファーがあろうことか、胃酸を中和するために重曹を飲んだ上で、1ccのコレラ菌を服用するのである。その結果、彼はコレラに罹ったか。否、である。少々の下痢ですんでしまった。ソラ見た事か。細菌ナンゾで病気になってたまるか。諸手を掲げ、快哉の雄叫びを上げる彼の雄姿が見えるようではないか。だが早まってはいけない。後年、彼の弟子が同じ暴挙に及んで、こたびはメデタク昇天してしまったのである。事ここに至り、細菌学に破れた彼は、哀れ自裁にいたったのである。

しかし、この事例は医学界に衝撃を与えたようである。証明された理論知・法則知の妥当性の問題を突きつけたからである(本日はこれまで)。


Comments

“2015年12月22日” への1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です