2015年9月25日

9月25日・金曜日・雨。中日を越えていよいよ夜長かな。

 (この項は、9月2日・水曜日の続きである。)

2・「挑戦者」。この言葉は談話中、思いがけない文脈で使われており、戸惑い、或いは違和感を持たれた方も多かろう。私もその一人である。が、その意味が、私にとって初めて明確になったのは、朝日新聞・朝刊に掲載された一読者(国語教師・女性)からの投書であった。いま、手元にその文章がないため、私なりに補足しながらそれを記せば、こういう事である。そもそも挑戦とは、克服し難い困難や越えがたい壁、或いは難題に直面した者が、それに怯まず、勇を鼓して立ち向かう、そうした姿勢、心情を言い、だからそこには勇気、剛毅といった意味が宿される。で、その反対語は意気地なし、怯懦ということになろうが、これとの比較で言えば、挑戦者とは、普通、積極的な資質にとみ、出来ることなら、自分もそのような人になりたい、そんなプラスの意味を持った言葉となるだろう。

では、首相はこの言葉をいかなる文脈で使われたか。世界を巻き込んだ第一次大戦後、世界はその悲惨な体験から平和を願い、「国際連盟」を創設するなど新たな国際社会の潮流を生み出した。当初、日本もこれに歩調を合わせていたが(確かに政府は軍部の抵抗を受けながら軍縮、軍事予算の削減に取り組んだ)、「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃」を受けた。かくてわが国は世界の中で孤立を深め、経済、外交の行き詰まりに見舞われ、この打開を求めて「力の行使」に向かうことになった。それが「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき進路を誤り、戦争への道を進んで行きました」。

これを読んで、いかなる感想を持たれようか。すでに1・で見たように、ここでも外圧、すなわち他者によって、日本は心ならずも道を踏み外したとの論調が見て取れないであろうか。それにも増して奇妙なのは、このような文脈で使われる「挑戦者」という言葉である。これでは、何か日本の行動は、間違ったけれども果敢であり、勇気に満ち、立派であった、と言わんばかりではないか(本日はこれまで。実は9月2日の稿を大幅に訂正した疲労の為。)。


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