2015年8月21日

8月21日・金曜日・曇り。熱暑去る。 まだ来ぬか 待ちにし法師 昨日鳴く。みつお

熱暑に参り、二週間の休みを取った。といって、どこかへ行くあてが有ったわけではない。ただ夕暮れまでダラシナク昼寝、いや夕寝をきめこみ、その後夕食をかねて読書と称し、近所のレストランに通う日々であった。もちろん、我が家にも書斎はあるが、気分転換に河岸を変えるというわけだ。しかし、昼寝の後に気分転換と言うのも、ヘンな話で、ただのモノグサ、言い訳に過ぎなかろうが、しかし、私にとってこの気分転換こそが全て。この儀式を経なければ、何事も次に進まないのだ。よって、本を読む気にもなれない。これは、わが学生時代からの宿痾である。

と、こんな懺悔めいたことを言ってみたのは、かように無為な時間を過ごす最中にも、社会ではそれこそいろいろ大変な事態が生じて、これまで綴ってきた話題があまりにも浮世離れしてきた、もはやこんな事を言ってる場合ではない、そんな気分になったからである。もっとも、それ以前だって、随分浮世離れの独り言には違いないのだから、今更、改まるまでもないことは、私も十分弁えているのだが。

さて、では、どう改まったのか。安倍談話と安保法制、川内原発の再稼動等、こうした問題について、どう考え、自分なりにどう始末をつけるべきか、である。ここではその内、安倍談話についてのみ、述べておこう。

当談話は、それこそ一年ほど前から様々取り沙汰されてきた。首相の真意を探れば、恐らく村山・小泉談話の抹消であったろう。だが、いかに一強多弱の政治地図にしても、それはさすがに出来る話ではない。だから、首相は早い段階から、内閣は両談話を「全体として引き継ぐ」と表明してきた。だが、この言葉によって何が、どう「引き継」がられるかは、曖昧のまま残された。そこに、国民はじめ近隣諸国の不安もあった。しかし、「全体として引き継ぐ」と言ったからには、その意味は、先の日中・太平洋戦争における日本の責任を認め、今後も不戦の方針を日本政府の国策とする、と言明したに等しいと取れるだろうか。それを前提として、両談話を「上書き」し、「積極的平和主義」に立った未来志向の談話を目指す。ここにこそ、戦後七十年に発せられる安倍談話の意味もある、ということなのであろう。そして、首相の意図をこのように解釈できれば、当初危惧された首相の姿勢は、かなり平和主義的な方向を取らざるを得ないと考えられたし、事実、そうなったのである。

だが、これまでの流れから見ると、私にはそれが首相の真意に発した当初からの政策であり、方針であるとは、どうも感ぜられない。首相は国内外からの強い圧力に屈した、それが言いすぎなら、妥協したのではないかとしか思えないのである。中でも、オバマ政権の圧力が強かった。米国は、談話の内容によっては、尖閣列島をはじめとする東シナ海や日中関係のさらなる緊張激化、それ以上に日韓関係の破綻を来たしかねぬ、と恐れたからであろう(久しぶりで疲れた。今日は、コレマデ)。


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