2015年7月28日

7月28日・火曜日・相変わらずの猛暑。地下鉄のクーラー効かず。そこで一句。 

どの咎か 列島襲う 土砂炎暑。 みつお  

だが、このような物質観の変容は、それのみに留まらなかった。絵画では、物質は揺らぎ始め、明瞭な線が消え、点描へと変わって印象主義が誕生するのである。因みに、モネの「印象―日の出」が描かれたのは、1874年のことである(清水幾太郎『現代思想』1966)。また、こうした確固たる世界観の崩落は、思想・哲学においても無縁ではなかった。ニーチェはこの事を、「神は死せり」との一言によって決定的にしたのである(『ツァラトゥストラかく語りき』1883-85)。

この辺りの思想史上のダイナミックな転換と潮流を跡付けようとすれば、ダーウィンの挑戦、神学と哲学の闘争(例えばフォイエルバッハ、ヘーゲル左派やマルクス主義等々)あるいは、当初、神の存在証明の徒でもあった自然科学の神学への反逆など、私には手におえない分野に分け入らなければならない。ゆえに、私は大急ぎで我が当面の問題に逃げかえろう。

私が上記の線上で言いたかった事は、自然界を貫徹する必然法則に対する疑念である。先に触れたように、今では自然科学の法則知は極めて限られた領域でのみ妥当するだけの、しかも暫定的真理にすぎなくなった。とすれば、こうした自然科学的な手法とその知的体系を社会事象の中に持ち込み、それに応じた法則知を確立しようなどという試みはそもそも成立しない。 

ところで、もしこの事が可能であったとすれば、それは我々の人生上にいかなる意味を持ちえたか。マルクスの場合が分かりやすい。彼の予言したように、資本主義の崩壊から社会主義への移行が自然法則のごとく逃れがたい必然であるとすれば、その移行が出来る限りスムーズに実現するよう、人々はそれに参画すべきである。その移行には当然、現体制下で利益を得ている政治勢力の根強く、強力な抵抗、反革命は不可避であり、それだけ産みの苦しみを免れないからである。こうして、絶対的な法則知は、そこに将来の予測と対策を絶対的なものとして告知し、ここに「人はいかに生きるべきか」の問題を解決されるのである。この時、決断者は必然に引きずられて已む無く行動するのではない。事柄を正しく認識した者は、自らの自由意志において、主体的にそれを選択するのである。かくて自由と必然は一体化されることになる。実に魅惑的な解答ではないか。

こうした人生問題の解答は、中世ではカソリックの教義によって与えられた。神はこの世を造り給ふた。無謬権を備えた教皇以下教会内の位階制と世俗社会での身分制は、神によって定められたものとみなし、それゆえ教皇の命令や教えに導かれながら、人は社会内に置かれた場においてその勤めをはたすべし。君主は君主として、奴隷は奴隷としてのつとめがある。神への絶対的な信仰を持つ限り、人々は来世における救済を信じ、野の百合、空の鳥のように、明日を煩うこともなく平穏に日々を送れるわけである。

しかし、19世紀末、時代は神の死を見、また科学的な真理知を見失った。時代は縋るべき地盤を失ったのである。これは生の意味を失ったに等しい。人は何のために生き、何処から何処へ行くのか、と言う問いに自ら答えなければならなくなった。ニーチェはこれをニヒリズムと言った。彼は超人の思想でこれを克服しようとするが、全ての人間がそうしたエリートになりうるものではない。ここに、20世紀の荒涼が始まる。


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