2015年7月3日

7月3日・金曜日・豪雨。

さて、前回の論を進める前に、そこで取り残した問題を一、二補足しておきたい。それは、科学の客観性についてである。科学、特に自然科学の成果は、普遍妥当性を持ち、またそうでなければならぬ、と言われる。社会科学では、経済学がそれに最も近い学問である。だから、唯一、ノーベル賞の対象学問になれたのであろう。その成果の客観的な判定が可能だ、とされたものと思う。

では、この場合の普遍妥当性とは、どう言うことであろうか。分かりやすく言えば、その成果が「真理を欲する万人に妥当する」ことである。普通、科学的成果は「因果法則」として示される。「Aは常にBを結果する」。生じた事柄を、それを生じさせた要素に分解し、その要素間の関係を上記のように、原因と結果の関係式に纏め上げる。ただ、現実の事象はコンナ単純なことではなく、無数の要素が同時に関係し、影響しあっているのだから、とてもじゃないがその作業は困難を極める。実験装置はそうした錯綜した要素群を排除し、調べようとする要素のみを引きだし、その関係を検討するための条件作りと言ったらよい。

例えばロベルト・コッホ(1843-1910)は結核の発症メカニズムを、こんな風にして確定した。結核に罹患した検体から結核菌を抽出し、これを純粋培養する。ついで、何世代にもわたり継体して飼育され、こうして無菌化された鼠に注入する。その際にも、細心の注意をもって器具その他を滅菌し、他の感染を防止する。21日目にその鼠を解剖して、結核の感染が確認されたら、そこから分離された結核菌を他の検体に感染させ、かつそこから結核菌を抽出できる事。所謂「コッホの四原則」と称する手続きをもって、彼は細菌学を確立したのである。のみならず、彼は多様極まりなく、複雑な症状を呈する結核を結核菌との関連で把握し、診断学からその治療のための道を後世に開くことができたのである。

これは、人類が現在でも恩恵を受けている医学史上稀に見る一大偉業であった。ここにいたる細菌学の歴史は、興味深いエピソードに尽きないが(メチニコフ『微生物の狩人』)、ここでは彼が、結核の発症を結核菌との関連で捉え、その論理を確定しえた、その異能と刻苦を称えておきたい。彼の眼前にはかのフィルヒョウが立ちはだかり、その前途は決して平坦ではなかったからである。

ただただ、我が記憶のみにすがって書いた、それゆえ大いに怪しげな上の文章から、私は何が言いたいのか(何かとてつもない道に踏み迷って、とても疲れた。本日はこれまで)。


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