2015年6月5日

6月5日・金曜日・梅雨入り間近か。

前回、ゲーテの言葉に引き寄せられて、あんな事を書いてみた。今回はその続きをもう少し。私には長年の付き合いになるドイツ人が一人いた。と、過去形になったのは、一昨年辺りに帰国して、もはや連絡が取れなくなったからである。こちらの筆不精もあり、そのまま日延べしている内の事であった。せめて、あの時ケイタイで一本連絡をしておけば、と今になって悔やんでみるが、今更どうにもならない。こんな繰り言は山とある。これも、私の性分の一つである。

彼の滞日暦は、ほぼ30数年に及ぼう。その間彼は、幸いなことであったのか、特に日本語を学ぶ必要のない生活を送ることが出来た。日本人の細君はフライブルク大学を出た才媛であり、ドイツ語教師(R大学助教授)であった彼は、その同僚たちともドイツ語での意思疎通に不都合はなかったからである。そんな彼が、私の海外研究直前のドイツ語会話の先生として紹介された。以来、彼は私の友人となった。

この彼が、時には日本語を学びたいと、心底、思ったのだろう。「ミツオ、カタカナ、ヒラガナ、OK。ローマ字、問題ない。何故、漢字が必要なんだ。これで、文章は書けるじゃないか。」いかにも表音文字の国の人らしい訴えである。その痛切な思いは良く分かる。「ウン、お前の言い分はよく分かるが、日本語には同音異語と言って、同じ読み方で、意味の全く違う言葉がいくらでもある。だから漢字で書かないと、理解できないンダな」。今でこそ、日本語に堪能な欧米人は珍しくないようだが、当時は大変な努力の対象であったことは、間違いない。我が留学中のある時、フライブルク大学の若い研究者が、私のところに飛んできて、顔を紅潮させ、大威張りで訴えた。「Prof.KANEKO、聞いてください。我が友人が、昨日、日本から手紙を寄越し、彼は漢字を百文字書けるようになりました。ドーです、凄いでしょう。」件の友人は、私も良く知る名古屋大学大学院の交換留学生の一人であった。「それは立派だ。デモね、日本語の新聞を読めるようになるには、三千から四千字の漢字を覚えなくてはなりません」。彼は眼を剥き、輝きの紅潮は驚愕のそれに変わり、三千字とツブヤキながら去っていった。

アルファベット26から30文字ほどで全ての言葉を造れる欧米人には、そうした次第がドーにもイメージしにくいらしい。私が一万近い漢字を知ってる、と大法螺を吹いたら、大仰な身振りともに、こんなシャレた解釈を示された。古い文字が消えて、日々新たに、次々文字が造られてそうなるんだろう。

さて、25年ほど前の事になるか、岩手大学で開かれたドイツ語学会にかの友人夫妻と参加した時のことである。われわれは路線バスを乗り継ぎ、初秋の山越えを楽しみしながら、帰途に着いた。途中のバス停に、たまたま絵か写真の載る「味覚の秋」と題するポスターがあった。これは、「コレハ、如何ナル意味ナルヤ」と尋ねる夫君に、細君は流麗なるドイツ語で説明された。「夏には食欲が落ちて、ミンナ、あまり食べられなくなるでしょう。秋になって、涼しくなると、ものがオイシク食べられるようになる。ソオユウ事よ」。

どうであろう。これは私の「味覚の秋」とはチョイト違うのだが。帰京して語学担当の同僚に聞いて見たら、やはり同じような感想で、その解釈は「天高く、馬肥ゆるの秋」ダナとのこと。いや、解釈の当否はドウでも宜しい。私の面白いのは、日本人同士の会話では、日常的な言葉の意味について、一々確認しながら話を進めることはなく、だから頭の中ではまるで違うことをイメージしながら、それでも互いによく分かっているような気持ちになれる。それでいて必ずしも破綻が起きないと言うことである。それが、違う言語に移される事で、初めて自らその意味を考え、点検し、類比し、少しづつ自分の言語能力を鍛え上げていけるのであろう。


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