2014年12月11日

12月11日・木曜日・雨。

我が出社日は、一応水曜日と独り決めしており、4月以来、何とかこれを維持してきたが、夏以降は大分怪しくなってきた。水曜になったり、木曜になったりと。春日部から早稲田までの時間は、ほぼ1時間20分ほどで、前職の調布行の2時間半に比すれば誠に楽な事ながら、ドウもいかん。これを歳のせいにし、体力の衰えにしてしまえば、話は簡単だが、元同僚たちや先輩等の矍鑠たる活動を思えば、これはモウ精神の惰弱、気力の減退、つまり老いに向き合うこちらの覚悟の問題だろう。

とは言え、最近のミダレには少々の訳もある。実はこの年末、あろうことか我が家は転居の運びとなった。勿論、この不況風の煽りを受けての夜逃げ、ということではない。40年間を立派に、かどうかは知らぬが、ともかく勤め上げ、大学からは相応の退職金を頂戴し、地味な生活ゆえとりあえず困苦からは免れておる。

転居の理由は、過密である。我が家の家族構成は、4世代からなる。103歳の実母、わが夫婦、次男夫婦に加えて、孫娘(4歳)の6人が30坪足らずの家に犇いているのである。まさに老老介護を地で行く状況にくわえて、孫の跳梁跋扈が混乱に拍車をかける。生活用品なのかガラクタなのか判別不能な物共が四散し、足の踏み場もない。マサカ、それほどではないにしろ(これでは工事現場だ)、気分はこれに限りなく近い。

ここ10数年来、私は19世紀のベルリンの過密やら江戸から明治期にかけた東京市の貧民街について論文を書いたりしたが、その状況がそのまま我が家で展開されるとは思いもしなかった。これも天命なるか、と悟れればよいが、煩悩のわが身であればそうもゆかぬ。転居先は、現住所から徒歩3、4分である。

ヤット、ミダレた理由を述べる段にたどり着いた。一口で言えば、引越しの準備や処分品の仕分け、書籍の整理やらにエネルギーを消尽し、疲れ果て、とてもこちらには来られなかった。ただこれだけの事である。そんな事をユウノニ、なにもベルリンまで持ださんでも良さそうなものを、と言うなかれ。思い出して欲しい。ここはわが主張の場と言うよりも、パソコンの手習いなのだ。だから、いろんなことを言っては、わが技量を高めなくてはならないのだ。

そして、この準備のさなか、こんなことがあった。「アノ、アミが壊したダンボール箱を持ってきて。コイツ、壊しちまって」と笑いながら言った我が言葉にたいして、孫はオモチャで遊んでいた顔を上げ、真っ直ぐ私を見て一言。「アミじゃないよ。壊したのは、パパだよ」。思わず、手をあわせ、「ゴメン、ゴメン、お前に濡れ衣を着せたな」。

私はこのやり取りから深く思い知らされることがあった。孫の一言は、ただ事実の訂正を指摘するのみで、それ以外の何物も含まれていなかった。だから怒気もなければ、当てこすり、厭味もない。たったそれだけ。だからこそか、その一言は真っ直ぐに我が胸に届き、とどまった。彼女がもう少し歳がいっておれば、その物言いはまた違っていただろう。そのときには、私の受け止め方も変わっていたかも知れない。ともあれ、彼女のあのときの言い方は素晴らしかった。見事であった。恐らく、いかな名優をもってしても、あのレベルには及ぶまいとおもう。「子供と動物の演技には敵わない」とは、しばしば耳にする言葉であるが、私はその意味を初めて知ったような気がする。人を説得し、その気にさせる言葉とはこういうものであったか。大声を出す必要もなければ、威嚇もない。ただ静かにこちらの思いを伝えて、事を済ます。これが出来れば、世の中、会議、教室等々、もう少し静かになろうと言うものだ。時はまさに選挙戦の真っ盛り。あれもナントかならないものだろうか。


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