2014年9月17日

9月17日・水曜日・本日も曇り(以下は、過日読んだ書籍への礼状をかねた感想である)

前略、ご無沙汰しております。あの長く、暑い夏が急転し、一気に秋の気配。その後、お変わりございませんか。小生、この4月に退職してより気ままな、と言っても私どもの仕事は、普通の勤め人とは違い、はるかに勝手な生活が許され、それだけが採り得のようなものでしたから、現在もその延長のようにして、放恣で自堕落にしております。要するに、マア、有りていに言えば、小生、特段の病気もせず、日々をやり過ごしている次第です。

そんなことで、4月以来、書棚に眠った本を手当たり次第、と言えば威勢が良さそうですが、実はそんなものではなく、易しければ2~3日に1冊、難しければ10日ほどをかけ、読んでは次にとやっております。そしてこの度、先生から頂戴した『日独政治外交史研究』(河出書房新社1996年3月刊行)にいたりました。御著は、私がこの世にある間に、是非、読まねばと思いつつ、多忙にかまけて、今日まで延び延びになっておりました。しかし何故か、最近の我が関心は明治以降の歴史にあり、そんなことも御著に向かった一因でもありました。

まず、御著は、一体、ナンと言う本でしょう。1頁に通常の書物の2~3頁分の文章が詰まるかと思える程に(あまりの事に、1600字と数えてしまいました)活字は小さく、読めどもよめども次に進まず、注記はさらにポイントを落とした小文字の英独日の文献に圧倒され、かくて老眼鏡の小生には、それだけでも大変な難行の日々。その上、時に我が脳髄ではとても太刀打ちできない内容に、それはもう消耗の極み、優に12日間を要したものです。だから、1日でも早くこの苦行から解放されることだけを願って、しばし最終頁を眺めては、2割読んだ、6割済んだとそれのみ思う読書でした。にも拘らず、モウ止めた、と本書を放り出そうなどとは一瞬たりとて思わず、最後まで辿りつけたのは、御著の持つ力のゆえでありました。

こんな無内容なことばかりを綴って、終いにしては申し訳ありません。以下、内容について、小生が理解し、かつ興味を惹かれた論点を摘記し、ほぼ20年前に頂戴した本書への御礼にかえさせて頂きましょう。私には本書の第1部が特に鮮烈でした。「政軍関係」すなわち政治と軍部の2大権力の角逐、衝突、妥協という視点から、外交問題を把捉するとの問題関心に惹きつけられました。主として、ハンチントンとヴェーラーに依りながら、考察の理論的枠組みあるいは基礎付けをなされた後、ドイツ第二帝政期の政軍関係が具体的に展開されます。予めお断りしておきますが、軍のプロフェショナリズムの確立が軍務の意識化とそれゆえの政治への介入を免れさせるとするハンチントンの理論に対するヴェーラーの批判、つまり、そのプロフェショナリズムのゆえに軍が政治を呑み込み、ついには政治を引きづり回す、そうした事態のあり得る事をヴェーラーはモルトケの内に見て取った、とハンチントンを批判するようですが、この間の両者の理論的継承関係については、私はほとんど理解しえておらず、ここでは割愛します。

それにしても、モルトケをはじめとする軍関係とビスマルクとの軋轢は圧巻です。軍はしきりに相手国の準備の整わぬうちに叩くという意味での「予防戦争」を画策しますが、ビスマルクは国家の軍事予算、装備、戦略、兵員、要するに統帥上の自由度を出来るだけ国会から確保しようとして、参謀本部の「予防戦争」を放置し、あるいは泳がせ、それを政治的、政策的に利用することはあっても、その実行に踏み込むことは、断じて許しませんでした。ここでは、見事なまでの政治による軍の抑制が果たされ、普仏戦争以後のヨーロッパにおけるドイツの平和を外交的に確保したのでした。

こうしたビスマルクの外交、内政を含めた辣腕とも言うべき統治能力の意味は、彼の退位以後、一挙にその重要性に気付かされます。ビスマルク後の宰相たちは、必ずしも無能ではなかったベートマンを含めて、次第に参謀本部に政治力において劣り、帷幄上奏権を奪われ、ついに「予防戦争」を外交手段の一つとして利用するどころか、本気でその実行に移ろうとするにいたります。ドイツは対仏、対露と同時に干戈を交えることも厭わぬ二正面作戦すら視野に入ってまいります。かかる軍、参謀本部の前のめりの姿勢は、シュリーフェン・プランで知られる、机上における軍事作戦の科学化、精緻化があったようですが、他方で特に、ロシアのドイツへの侵略意図および攻撃力の過大評価が決定的でありました。事実は、ロシアにはそんな意思は皆無であったと言うのに。

一方の戦略意思が他方のそれに反応しないはずはありえません。仏露は民族的にも歴史的にも、それほど親近性があろう筈もないのに、接近し始め、こうしてドイツとの緊張は次第に高まります。また、英に対するドイツの見方は、どうやら片思いに近く、英国は中欧における巨大帝国の存在を許してはくれませんでした。ここではまた、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世についても一言すべきやも知れません。彼は「艦隊政策」を推進するも、その頓挫に際して、今度は陸軍増強に走る。この事態は、第二帝政期の統帥権の問題でもあったのでしょうか。要するに、皇帝は政治的にも、軍事的にも素人でありながら、最高権力者として事柄に介入し、全てを混乱させたのでしょう。常づね、ヴェーバーが彼のデイレツタンテイズムを痛罵していたのが思いだされます。ついに、ドイツでは、一元的で首尾一貫した外交政策の展開は不可能となりました。

私がここで、特にこれを言うのは、現在の日中外交関係を憂慮するからです。政府、そして社会は、中国海軍力の増強、尖閣諸島はじめ南・東シナ海でのプレゼンスに恐怖し、それにつれてわが国の軍事強化に躍起になってきております。靖国にみられる国家の右傾化、あるいは特定秘密保護法、憲法解釈問題などは、ほんの10年前でも想定できない事態でした。ここでの「予防戦争」観は、現政府にとって、極東の平和安定のための一つの政策手段なのでしょうか。それならば、大したものです。ビスマルクなみの手腕と言ってよいでしょう。しかし、私にはなにやら「戦争火遊び」に見えなくもありません。政治が軍を支配している積りが、いつかその関係が逆転し、先生ご指摘のルーデンドルフが立てた理論のように、政治の軍への奉仕、服従が生じないとも限りません。現政府にそれほどの狂気は在りますまいが、しかし世界に冠たる帝国日本の復活を夢見ることがなければと、ただ祈るばかりです。

御著の第一部はそんな危惧をかきたてる叙述でした。本書の御執筆中には、まさか現在の日中関係を、先生は想定されていたわけではないと思いますが、測深の錘が深く届いた歴史研究には、時代に即した読みと解釈を許す可能性を秘めている、と尽くづく教えられます。御著には、まだ触れるべき興味深い論点がございます。例えば、明治憲法下での統帥権の導入とその論理構造やら、ソヴィエトが国連憲章における「敵国条項」を盾にした西独政府との交渉過程が想起されます。ここでは特に、祖国統一を目指す当時のドイツの懊悩、恐怖を手に取るように読まされましたが、ともあれこんなにタフな交渉相手を前に、ドイツ政府、国民はシタタカニ鍛えられ、ついに統一を獲得したのでした。この事例から、私は痛切に思います。我々は、今後とも中国、ロシアといったナントも付き合いにくい隣人たちと様々な交渉に臨まなければなりませんが、戦後のドイツ人のごとく粘り強く、また多方面からのアプローチ、発想をもって接しなければならぬ、間違っても、暴発し「予防戦争」まがいの手段に訴えることは出来ない、と。我々日本人には、こんな辛抱はナントも苦手なことではありますが。なにしろ潔い散り際を良しとする美学の国なのですから。

御著はたしか、ほぼ20年ほど前、明治大学連合駿台会学術賞第二回の受賞作品であったと記憶しております。初回は尾崎先生でした。政経学部が2年連続で受賞作を出したことに、わたしも何かしら誇らしい気持ちになったことを、覚えております。その時、小生にも貴重なる一冊をご恵贈頂きながら、本日までの無音をお詫びいたします。もっとも、当時、本書に挑んだとしても、恐らく中途で挫折していたと思います。こうして最後の頁までたどり着けたのも、その間、小生も少しは書を読み、粘り強くなれたお陰かと、いやそうではない、退職後、有り余る時間を与えられての事かも知れぬ、してみると退職も満更でもないナ、と怪しげな事を思いつつ、一先ずここで閣筆させていただきます。

いずれまた、再会の機会もあろうかと存じます。どうぞ、息災にてお過ごしください。


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