2014年9月10日

9月10日・水曜日・連日の曇り。台風の接近を伝える。ふたたびの災害を憂う。

今回は、前回の問題にチョイト補足し、これにケリをつけることにしよう。題して、オマケの補足。その取っ掛かりは、「需要は、いったい何処にあるというのか?」である。途上国ならイザ知らず、われわれの生活に、現在、不足している真に必要なモノとはなにか。これは生活をどう考えるか、という人生観にも繋がる大問題だが、普通は「贅沢を言えばキリないが、まずは、健康に恵まれ、衣食住に不都合がなければ、それでよし。」即ち、「足るを知る」、こんな気持ちで、われわれは日々の仕事に精出すのではないか。そして、たまには、美味いモンをくい、面白い物を見、チョイトした贅沢が味わえればオンの字だ。

こんな生活感がふつう一般の人々のものだと思うが、どうだろう。これを一つの基準とすれば、バブル到来前のわが国の人々の生活は、7割前後は満たされていたのではないか。バブルが弾けた現在の問題は、衣食住にも事欠く、「ネットカフェ難民」とも称する人々の生活であり、ここに象徴的にみられる「格差問題」の存在とその拡大である。その原因は企業側の雇用の縮小によるが、そうした対策は、経済のグローバル化の結果であることは、さきにみた。とすれば、採られるべき政策は、一度落ちたら最後まで転落せざるをえない、「滑り台社会」(湯浅誠)とも言われる社会の是正であろう。具体的には、セーフティーネットの構築である。こうして、まずは社会の安定化をはかることだ。だが、現在、政府が取ろうとしている対策は、その真逆のようにみえる。それは、経済成長を第一とし、その果実をもとに賃金アップを目指す、と言うものだ。そのために、金融緩和をはじめ各種事業税の引き下げ、その財源となる消費税率の上昇をめざす。くわえて規制緩和、経済構造改革の推進がこれにつらなる。

だが、この政策がかりに功を奏して、利潤が上がったとして、それが賃金にまわる保証はどこにもない。現に麻生財務大臣は、全く正直に言っている。「民間の稼いだものを、政府がどう使え、と言う事は出来ない」。グローバル経済にあって、企業は稼いだ利潤を賃金に回す余裕などなく、競争に備えて内部留保するか、物言う株主にたいする対策として配当金に振り向けるほかはない。これまでの20年間の経済の歩みはそんなところではなかったか。先ごろでた経済統計によれば、直近の経済成長の期間は史上最高に属する長さであったようだが、庶民にはそんな景況感はほとんど感ぜられなかったのも、そのゆえであった。

それでも、国内経済が良くなればまだしもである。仕事が増えれば、雇用もふえる。しかし、ここにまた、需要の問題が立ちはだかるのだ。「君に、いまホントに欲しい物はあるのか」。それはナンだ、と聴かれたら、なんと答える。新規に開発される物を見てみたまえ。生活に密着した、かって「三種の神器」と言われた洗濯機、冷蔵庫、掃除機あるいはテレビや自動車といった爆発的な需要を引き出すような製品はあるのか。それが生産されるための色々の分野の技術革新、それを支える科学体系、教育などなどの大革新がより合わさって社会や経済の発展がいき長く続いたのである。現在の商品開発は、私には、そんな40年ほど前の商品の焼き直しにしか見えない。こんな物で、わが国の経済発展をヒッパテいけるとは、到底思えない。かくて、国内経済は頭打ちとなり、だから市場を海外に求めるほかなくなる。

景気が思うに任せなければ、どうなる。公共事業(今回のオリンピックの誘致は、その点大ヒットと言うほかない。反対に、その後の反動を思えば、それが心配になる)、金融緩和などがうたれ、結局、バブルをよんで、破綻となる。そこで金融システムの維持、改善の為に膨大な政府資金が投入されたのは、記憶に新しい。さらに大企業の救済も、雇用の安定を図るために必要だ。それらは、みな税金で賄われるが、個人の破綻は自己責任とされる、まことに慈悲に満ちた政策である。しかも、かような破綻を引き起こした責任者の結果責任がどれだけ、どう取らされたかについては、私は寡聞にして知らない。だから水野氏は言っている。「大企業には国家社会主義の対策が、個人には自由主義の政策が」と。成長戦略がとられる限り、社会はこの轍から免れられない。それどころか、こうした矛盾はその度ごとに大きく、深刻になりかねない。

そして最後に、格差問題についても一言しておこう。これを放置することは、社会の不安定化もたらす。中産階層の崩壊は、一握りの富裕層にたいしてそれこそ大量の貧困層を対峙させる。それは両者の相互不信を醸成し、ことに下層の人々からの嫉妬や憎しみは止みがたく、激化される。また、下層階層の中では、俺はアイツよりはマシしだ、といった分断、亀裂も必然となる。これらを抑制するには、強力な治安維持装置が必要となり、警察が強大になる。それだけでも相当鬱陶しい生活を余儀なくされるが、事はそれでは済まない。つねに不安定で、嫉妬の渦巻く社会は暴力、テロの温床と化し、何か起これば、それが導火線となって、一気に暴動へと転化するのは必定だ。こんな社会は、命の問題はさておいても、いかに不経済であるかが分かるだろう。つまり、目先の利益にはならずとも、中間層の維持、拡大は、過激な思想や行動の抑制、社会の安定化に決定的に重要なのである。これに思いをいたせば、企業は派遣労働から手を引き、正規労働者の雇用にシフトすべきであろう。政府はそうした企業の努力を支援する対策をこそ、打たなければならないだろう。・・・・それにしても、今日はナンと勤勉な一日であったことか。疲れたから、これまでとする。今読み直して、もしかして次回もこの問題がつづくかもしれない。だが、相当飽きてきたから、止めるかもしれない。


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