2014年6月25日

6月25日・水曜日・ゲリラ雨?
チョイと、最近はこのパソコン遊びも中々面白くなってきたのか、いくらか積極的に向き合える気がする。何事であれ、進歩がなけりゃあ、その気にもならんし、第一興味が湧かん。教育とは、人をそのように導いてやる、そんな営みにみえる。新しい世界、未知の領域への一歩は、誰でも不安と恐れ、自分にそんなことが出来るのか、そんな気分に襲われるものだ。そんなとき、優れた指導者は、彼を励まし事の面白さを見せてやり、彼のどんなに稚拙な一歩でも、そのことをこれから広がる大きな世界への入り口として、ともに喜ぶ感受性があるのだろう。そんな指導者に恵まれた初心者こそ幸いなり。私の敬愛するファジイ理論の大家、向殿政男氏(明治大学名誉教授)が言ったことが思い出される。中学生のころ、数学の教師に「お前は数学がよくできる」と言われた一言に、エラク感激して、この先生の数学だけは頑張ろう、と意気に感じ、見事、本当に出来るようになったという。

自分のことはさておき――もっとも自分のことを言っていたら、何も語れない――教師とはこうありたい。そして、誰でも教師を目指すものは、そのような資質を持ち、すんなりとソウナレルとおもいたい。が、私が見てきた先生方のなかには、エッ!、それはチョット?と思わざるを得ないような、何かどこか勘違いをなされているような御仁も少なくないようだ。たとえばこうだ。親御さんを交えた面談の折、その親に己が威厳を見せつけようというのか、ムヤミニ高圧的、居丈高に振る舞い、滔々とご高説を垂れ、はては生徒を泣かせて胸を張ったそうだ?嘘かまことか定かならぬところだが、彼を知る者はミンナ、彼ならソンなことをやりそうだ、というくらいの信憑性はある。今日は大分ハカが行った。と、威張りたいような気分になると同時に、もう面倒くさくなったので、本日のところはこれまで(次回に続く)。


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