2015年3月26日

3月26日・木曜日・晴。

元に戻って、亀甲会の書芸展では、これも書か、という印象であった。もっとも、ここでは漢字の元となる、あるいはその成立直前の絵図と文字のいまだ未分化の象形文字が素材であるから、普通の書展とは趣を異にするのは当然である。これらを読み解き、鑑賞する素養のない者にとっては、書というより絵画にちかく(普通の書展でも、それは同じであろうが)、大小様々な用紙に刻された多様な墨痕、墨線の掠れ、捻りが描く形象に勝手なイメージを重ねて、分からぬながらも感心した顔つきをする他はなかった。それでも加藤氏の三十代半ばにものされたと言う作品には、書全体が孕む躍動、作者の息遣いが感ぜられ、それらが迫って、なるほどここには確かに一つの世界が宿る。この魔に魅入られたヒトがあっても不思議にあらず、と了解した次第だ。だが、私にとって特に興味深かったのは、そうした美的世界ではなく、図案や象形がそこに込められた意味と共にその後の漢字へと転生する過程が垣間見られたことである。白川静の世界に別の道から踏み入った感があった。

この項を終えるについて、一つ蛇足を付しておきたい。私にはついに亀甲会の魅力は分からず仕舞いであったものの、だから本会はツマラン、などと言う積りは毛頭ない。そんな不遜なことを言える資格のある者は誰もいない。あってはならない。だが、ある文化的、宗教的基準を設け、それに及ばぬ分野、領域、作品等々を「下らん」(この語の謂れは、江戸期、京の朝廷から江戸に何物かを下賜されるとき、「下る」と言い、そうでないツマラヌ物は「下らん」とされた事による、とは先日読んだ小説に教えられた)として排除する社会は、どの時代、どの国にもあったこと、現在でもそれは無縁ではない。いかに自由な社会といえども、油断をすれば、アッと言う間にそんな社会になってしまいかねない。戦前のわが国の極端な愛国主義、排外主義の潮流を思い起こせば、それは明らかであろう。

私は将棋が好きだ。好きだから好き、と言うほかはない(と言って、最近、その情熱は大分落ちてきているのだが)。この感情を頼りに、何故そんな物にウツツを抜かすか、その理由は皆目ながら、他者のそんな気持ちを忖度し、理解は出来る。コイツにとって、これは命にも等しく、コレあるがために、生きていられるのでもあろう。それからすれば、仕事は其れを支える、稼ぎにすぎぬ。職務を恙なく果たせるなら、それで良いではないか。こんな風に、社会が人々の楽しみ、喜びを最大限認め、許し、許容できるようであって欲しい、と切に祈る。そのような社会が持続し、強固に守られてあるなら、何故、遮二無二経済発展をし続けなければならないのだろうか。


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