2015年3月12日

3月12日・木曜日・快晴。

昨日、春のそよ風に誘われた訳でもないが、上野の森美術館に出かけてみた。知り合いが書を出展し、その案内状を送ってくれたからである。主催は亀甲会(パソコンではトテモ打てない込み入ったカメとカイである)。頂戴したパンフレットによれば、「甲骨・金文を主題とした書芸術展」とある。主宰は加藤光峰氏なる私には初めて知るお名前であった。

甲骨文とは、亀甲、獣骨に刻まれた文字を言い、殷代の占いの記録で、漢字の最古の形を示す、とは日本国語大辞典の説明である。金文は、これも殷・周代の古銅器に彫られた銘文とある。亀甲会はと言うより、主宰の加藤氏は、若き日、この古代文字が宿す呪術的な力に触発されたか、捉えられたのであろう、そこに潜む美的世界を現代に蘇らそうと心血を注いで、すでに半世紀を越えられた。くだんの知人他総勢23,4名の会員たちも、この魔界の美と魅力に取付かれてしまったのであろうか。例えば、わが知人は定年までの4年を惜しげもなく切り捨て、この世界に飛び込み、苦しみと挑戦に明け暮れる創作にはつき物の魔と戦いながら、実に充実した日々を過しているとの由である。

この言を耳にし、尽くづく思い起こすことがあった。ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(遊ぶ人間)の世界である。彼によれば、我々の言う仕事のほとんどは「遊び」からの分枝であり、遊びは決して不真面目、真剣さに欠ける領域ではない。遊びは神事とのかかわりの中で、それぞれの分野を開き、またそれを洗練させてきた。祈りは詩歌、音楽、器楽誕生の温床になったであろうし、舞踊もそうだ。収穫の感謝と祈りは、初穂の奉納の儀式と共に神酒や多様な食の饗応の場でもあった。相撲にみるように、武芸や格闘の試合も神への奉納と共に大きな楽しみの領域であったのは言うまでもない。このように、ホイジンガは「遊ビノ相ノ許二」文化全般の発祥、発展を概観したのである。ここでは「遊び」は、仕事以上の真剣さでもって扱われたのだ。彼のこの文化論は「遊び」を初めて真面目な考察すべき対象として取り上げたという意味で特筆されうる功績であったと、カイヨワは評価したのである(本日はここまでとし、あと一回続く)。


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